ひとり旅日記 ギリシャ

女ひとり旅日記 ロードス 旧市街 考古学博物館 ギリシャ旅37

こちらは、「ロードス旧市街 考古学博物館(3)」です。「ロードス旧市街 考古学博物館(1)」はこちらです。

” ”内は博物館の展示ボードより、一部引用し、和訳したものになります。

*一部写真にガラスが反射して見ずらい部分があります。ご容赦くださいませ。

金属製品-ファイアンス焼き(陶磁器)-ガラス

金属製品は、冶金技術の長い伝統を持つ・・・フリギアとメソポタミアから輸入された一連の器(銅製の鉢と水盤、および少数の銀の鉢)から発展していきました。

ロードス島にあるこれらの輸入された器には、紀元前8世紀と7世紀の銀のオムパロスの鉢と、型で鋳造された浮彫装飾が施された銀のフィアレ(酒器)があり、紀元前6世紀末から5世紀に近東で栄えたアケメネス朝芸術の特徴があります。

ブロンズの骨壷とオイノコエに関しては、おそらくロードス島の地元で作られた品々に含まれていたと思われます。

 

ロードス旧市街 考古学博物館

 

埋葬品の銅鏡(上方の丸い形の)。はるか昔、日本にも伝わってきた。

成人の埋葬品。 紀元前450〜400年
・・・ブロンズの鏡など

 

ファイアンス焼きは、砂と石灰の含有量が高い合成素材であり、その使用は紀元前2千年期の間に、古代エジプトの工房から地中海まで広まりました。

緑や白の釉薬(うわぐすり)の付いたファイアンス焼き、特に小像、リュトン、モデル化された壺、ビーズ、護符、石印、象形文字付のスカラベの印が、イアリソスとカミロスの奉納物の中に多数見つかりました。

それらの多くは紀元前7世紀から6世紀にロードスが常に密接な関係を保っていたエジプトから輸入されていました。その他の物は、エジプトの影響下にあるロードスで作られたことが見てとれます。

 

ファイアンス焼きの小像。子供をおんぶしている像もある。(中段の右はし)

ロードス旧市街 考古学博物館

 

ロードス旧市街 考古学博物館

 

ガラスは、砂、ソーダ、石灰からなる合成物質で、紀元前7世紀後半にすでにロードス島では広く使用されていました。 コアガラス技法に基づいて作成されたメソポタミア起源の豪華な壺がカミロスで発見されました。

ロードス旧市街 考古学博物館

 

埋葬品、その他

 

冒頭の写真。ロバの美しい置物。リンドスのロバたちを思い出す。

壺を運ぶロバのテラコッタ像
玉座に座った女性像(右)

 

 

ロードス旧市街 考古学博物館

 

つるされた鳥たち。

ロードス旧市街 考古学博物館

 

ロードス旧市街 考古学博物館

 

微笑みが印象的な美しい人。複数の展示があった。型があったのだろう。

ロードス旧市街 考古学博物館

 

ロードス旧市街 考古学博物館

 

上の写真の一つを拡大。小さな像だが、美しい。

ロードス旧市街 考古学博物館

 

壺に壺がはまっている。面白いと思ったが、まさか、埋葬用の甕(かめ)とは思わなかった。

幼児の壺棺墓。 紀元前900〜850年
小さな・・・オイノコエ(水差し)をストッパーとして使用した壺棺墓。

 

どことなくユーモラスな感じ。髪型も個性的。アケローオスは河の神様。油/香水入れ。

乳児の埋葬品  紀元前550年〜525年
アケローオス神の頭の形のアリュバロス

 

ロードス旧市街 考古学博物館

 

カミロスの墓地

古代カミロスの墓地は・・・丘陵の複数の場所に点在しています。

・・・原幾何学様式時代の後期(紀元前900〜850年)の最も古い墓地がPatellesにあり・・・次の幾何学様式時代(紀元前850〜680年)の墓が・・・カミロス、Papa tis loures、神殿Aのエリア、Kechrakiで発見され・・・アルカイック時代(紀元前680〜480年)に、新しい墓地がPatelles, Laerminaki, Vizikiaに出現しました。

その後の古典時代(紀元前480年〜331年)に使用された墓地・・・Fikelluraは19世紀に発掘され、発見された品々は大英博物館とルーブル美術館に運ばれました。

Makri langoniでは、KritoとTimaristaの墓石、最も重要なものの1つ・・・古典時代のロードスの彫刻が見つかりました。Chalatomylosの墓地の、ヘレニズム時代初期の墓が、近年により近いものです。

カミロスとイアリソスにおいて、幾何学様式時代とアルカイック時代の一般的な埋葬は、大人は火葬、子供や青年は壺(甕(かめ))棺墓でした。・・・火葬は紀元前525年ごろ、イアリソスより若干遅く、カミロスで放棄されました。・・・墓穴、石棺、部屋墓、またはテラコッタや石灰岩の棺への埋葬、が主流となりました。

 

カミロスのアクロポリスとアテナ神殿の奉納品

古代の町の上にある自然の台地に築かれた、カミロスのアクロポリスに位置するのが、アテナの神殿と聖域、ドリス式の長いストアの遺跡です。

それらは紀元前227年(または226年)の大地震の後、ヘレニズム時代に建設されました。聖域は幾何学様式時代かつアルカイック時代には、すでにそこに存在していましたが、今日ではその痕跡は残っていません。

その存在は、奉納品の発見によって証明されています。ヘレニズム時代の神殿の控えの間に、深さ35メートルの井戸があり、聖域に捧げられたほとんどの奉納品は、紀元前6世紀半ば以後しばらくの間、そこに集められました。その時にアテナの最も古い神殿が大きな貯水槽と共に北に建てられました。

・・・奉納品は、ヘレニズム時代の神殿の土台の間やストアの後部にある一連の井戸の中、そしてアルカイック時代の貯水槽の底に散らばっているのが発見されました。19世紀に発掘され、そのほとんどは現在、大英博物館とルーブル美術館にあります。

 

彫像

体の微妙な角度が優雅なゼウス像。

ロードス旧市街 考古学博物館

 

カミロスで発見されたゼウスの小像
ヘレニズム時代後期

 

アフロディーテ像。部屋の中央に設置され、四方ガラス張りの展示。特別な像なのだとわかる。360度の方角から鑑賞することができる。

片ひざをついて、上半身をねじり、両手で髪をかき上げている。このポーズを考えた人はすごい。

ロードス旧市街 考古学博物館

 

ロードス旧市街 考古学博物館

 

ロードス島のヴィーナスとして知られる、入浴中のアフロディーテの小さな像

彫刻家ドイダルサスが創始した、紀元前3世紀の彫像様式の、後世の改造品です。 このロードス人の作品は、紀元前1世紀の美学における装飾的特徴を雄弁に物語る一例です。このような小さな彫刻は、裕福な住居の内装だけでなく、ニンファエウムや個人、または公の庭園を飾っていました。

 

アスクレピオス(医神)の像。WHO(世界保健機関)のマークは、彼が持つ、ヘビの絡みついた杖に由来する。

アスクレピオスの小さな像
2世紀半ば

 

つづく

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