旅を豊かにする本

遠い太鼓(Far Away Drums) 村上春樹(ギリシャ他)

初めまして

実は、彼の作品を手にとったのは、今回が初めてであった。旅行前に、ギリシャの滞在記があれば読んでおこうと思い、図書館で借りてきた本の中の一冊だった。

紀行文のコーナーに彼の本を見つけた時は、意外な気がしたが、ずいぶん昔に、彼がギリシャの島へ移住して本を執筆していた事を、かすかに思い出した。なるほど、彼はギリシャに縁のある作家さんなのだ。彼がどのように物事を見、表現するタイプなのかは全くわからないが、今回、ギリシャが彼の本を読むきっかけとなったのを、興味深く感じた。

ギリシャ語

彼はギリシャ移住前に、大学で1年、ギリシャ語の講座を受けていたそうだ。ギリシャならば、英語で暮らせてしまえそうな気がしたが、本中には、島の人々とのやりとりが、ギリシャ語のカタカナ表記で記されている部分が出てくる。なるほど、小さな島などでは、英語が通じないこともあるのだな・・・と思ったが、おそらく、それだけではないのだろう。作家さんにとって、まず、言葉は大切なものであるし、それに、英語にはギリシャ語を語源とする単語がたくさんあることから、英語が堪能な彼は好奇心もあったに違いない。しかし、一番の大きな理由は、おそらく、ギリシャの人々に対する気持ちだったのではないか、と思う。短期間であっても異国で生活をするにあたっては、何かと周りの人々に助けられ、お世話になる身となる。感謝、そして敬意・・・そういった彼の気持ちもこもっていたに違いない。

印象に残った話(ギリシャ)

まず、クレタ島南部の海沿いを走るバスの話だ。ここでは詳細は書けないが、田舎ならではの、おおらかさと明るさ、陽気さがある。彼がワインの味をこの上なく称賛する場面では、カザンザキス作「その男、ゾルバ」本中で述べられている、なかば詩のような、クレタの酒を褒め称える、力強い言葉の数々を思い出してしまった。直感だが、おそらく彼は幸運にも、本物の、クレタの酒に出会ったのだ、と、思わざるを得なかった。なんてラッキーなのか! わたしは、このエピソードを読みながら、うっとりとした反面、いまだに自分にとっては、幻の酒であるのを寂しく思った。彼は、こう述べている。「”・・・俺は今までこのギリシャで、一体何を食べ、何を飲んできたのだ、と愕然(がくぜん)としてしまうような・・・”」 ああ、わたしもこんな風に愕然としてみたい!!

2つ目は、ギリシャの島々の冬だ。冬の島の描写では「雨」がよく出てくる。雨の朝の執筆、雨の匂いと激しい風の音・・・この雨と風は、彼の小説にも影響を与えたそうである。冬のミコノスは雨が多く、時には雪が降るそうだ。スペツェス島においては、雷が何日も止まず、雨上がりには道が川となるそうだ。おそらく、他の島々もそんな冬の知られざる顔をもっているのだろう。風雨が去るたびに、崩れた塀を修理する人々の姿も印象的だった。

ぶどう色の・・・?

本中にはいくつかの島が出てくるが、その中のハルキ島のエピソードには、こう記述がある。「”・・・白い岩にぶどう色の波がよせて・・・”」 ・・・ぶどう色の波? 初めて目にした時は、よくわからず、彼独自のユニークな表現なのかと思っていたが、ギリシャに関する書物を読んでいると、「ぶどう酒色の海」、「ワイン色の海」という表現がチラチラ出てくる。調べてみると、紀元前8世紀末の詩人、メロスの詩の中に出てくる「ぶどう酒色の海」という表現に因んでいるようだった。しかし、なぜ、海がぶどう酒色なのか? 諸説あるようだが、結論には至っていないようだ。

個人的には、夕日が沈むころの海の色ではないか・・・と、思うが、どうなのだろう?

村上氏は一体、どんな海を見たのか・・・?

わからないことが却って想像をかき立てる。しかし、「わかる・わからない」というよりも、「感じる・感じない」の世界なのかもしれない。詩人の言葉だからだ。

この「ぶどう酒色の海」という不思議で、甘美な響きは、2000年以上経った今でも、われわれを魅了し続けて止まないのだ。

全体に対しての感想

この本には、ギリシャだけでなく、イタリア、オーストリアなどの話も入っている。どの話も、当時の空気をそのまま閉じ込めたかのように、生き生きとしている。著者の行動力と好奇心、そして頭脳の為せる業 (わざ)に脱帽する。シンプルな文章であるにもかかわらず、情景や感覚が行間から立ち昇ってくるのはさすがである。お土産話を聞いているように興味深い話が大半だが、ところどころ内省を踏まえ、全体を引き締めてもいる。内面を吐露している部分では、特に彼のシンプルな文章が光っているように感じた。徹底的に自己を見つめた結果、紡ぎ出されたに違いないその言葉たちに、われわれ読者自身も自己の内側を省(かえり)みさせられる。日本を遠く離れること3年。当時の村上氏は、自分の内と外に何を見、何を感じたのか、読んでみる価値は充分にあると思う。

最後に

本に没頭すると、まるで直接、作者が自分に親しく語りかけてくれているような錯覚に陥(おちい)るのだが、この作品もそうだった。もしかしたら、作者と年齢が近いせいかもしれないと思った。同年代の村上氏から直接、異国の滞在記を語ってもらったような気分で本を閉じたが、読後、実は、この話が実際に書かれてから、30年という月日が経っていることに気づき、愕然(がくぜん)とした。とても信じられない、という思い。なぜなら、本の中では村上氏が現在進行形の形で生きており、切り取ったばかりの、みずみずしい世界を描いているからだった。しかし、それは、現在の村上氏とは別の、30年前の若い作者の姿であったのだ。それがわかった時、わたしは危うく気が遠くなりかけた。これも作者の類まれな力なのだろう。

 

●「””」内は、本文の引用です。

●冒頭写真は、ロードス島、旧市街の建物です。

 

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