ひとり旅日記 ギリシャ

女ひとり旅日記 テサロニキ ロトンダ見学2 ギリシャの旅72

聖堂内陣

幾世紀もの歳月を経た、この古い建物の中で、ゆいいつ、今とつながっている場所がここである。

テサロニキ ロトンダ

 

十字架にはリースが捧げられ、両脇にはろうそくがシンメトリーに置かれている。台には刺繍で美しく縁取りされた布がかけられていた。

テサロニキ ロトンダ

 

天井絵の拡大。

テサロニキ ロトンダ

 

展示ボードの説明を引用します。

神聖なる聖堂内陣/聖域

神聖なる聖堂内陣は、最も重要です。ロトンダをキリスト教の教会堂に変えるため(4世紀後半から6世紀にかけて)増築された、今なお残る唯一の建造物です。丸天井の基部に向けて建っている、見事な…アーチ形天井によって聖堂内陣はロトンダとつながりました。聖域の堂々たる大きさは、畏敬の念と高揚を呼び起こす、…キリスト教の儀式を明確に表しています。

聖域は、半円形の突き出たニッチ(壁がん)の東で終わっています。そこでは、聖画像破壊運動の終了(842年)後に描かれたキリストの昇天の壁画が残っています。大きなアーチが側壁に築かれ、そこを通じて聖域はアンビュラトリーと呼ばれる廊下を囲む外部へとつながっていました(今は残っておりません)。

ビザンチン時代から20世紀にかけて聖域では、建物の装飾や修理、その他の改修が非常に多く行われてきました。現存している聖域の構成要素は、2015年(最終の)完成予想図に含まれていたものです。

展示ボードより一部引用/和訳

 

誰が何のために

テサロニキ ロトンダ

 

展示ボードによると「2説」あるようで、いずれもガイドブックやウィキペディアの説明とは異なっている。参考までに引用します。

4世紀初頭:ローマ帝国(テトラルキア)の守護神に捧げられた寺院として、マクシミアヌス・ガレリウス(在位293-311年)が…建立したか、もしくは、ローマとノヴァ・ローマ(後のコンスタンティノープル、現在のイスタンブール)に住まう皇族の霊廟の一つとして、コンスタンティヌス1世(在位306-337年)が…建立したか、のどちらかです。

展示ボードより一部引用/和訳

 

その後に、キリスト教教会堂になったようだ。

4世紀後期-6世紀: 東側の聖堂内陣(聖域)、前門と礼拝堂、そして回廊(アンビュラトリー)の増築と共に、ロトンダを宮殿のような豪華なキリスト教教会堂に転換。

展示ボードより一部引用/和訳

 

いったん、ロトンダの外へ

ロトンダ内部では、周囲のひどい路上駐車や排気ガスのことはすっかり忘れられた。天井が高いからか圧迫感もなく、静けさの中、瞑想ができそうな雰囲気。とても気に入った場所だったので、立ち去るのが名残惜しかった、が…とりあえず、外へ。

テサロニキ ロトンダ

 

空高くそびえる、ミナレット(尖塔)。

テサロニキ ロトンダ

 

つづく

冒頭写真:ロトンダ内部

 

おすすめ記事