ひとり旅日記 ギリシャ

女ひとり旅日記 エピダウロス 遺跡見学再開 2 ギリシャ旅150

エピドテイオン(Epidoteion)

続いて、こちらはエピドテイオン。この名前は、ヒュプノス(眠りの神)の別名から来ているそうだ。

エピダウロス遺跡

 

さっそく、展示ボードを見てみよう。(一部引用し、ざっくり和訳)

こちらの建物は、パウサニアスの記録に基づき、恩恵の神の神殿:エピドテイオンとして認識されている。「エピドタイ(epidotai)」とは、人々に健康、富、幸福をもたらす善を司る神々を意味し、アスクレピオスとその家族、そして治療過程において、重要な役割を果たした睡眠の神ヒュプノスを指したという。

神殿には、2つの部屋と奥には半円形の台座の上に神々の像が立っていた礼拝所があり、特大サイズのアスクレピオス像の破片が発見されたという。礼拝所の前には、儀式を執り行う広間があり、ベンチと清めの水槽が備えられていたそうだ。

神殿は西暦2世紀の建立だが、同じ場所に建っていた古い建物(紀元前4世紀)の建材が再利用されており、おそらくその古い建物も、エピドテイオンとして機能していたと考えられているそうだ。また、このような神殿が、山の泉を水源とする水場のそばに位置しているのは、アスクレピオス崇拝の治癒過程における水の役割を示しているそうだ。

展示ボードより (一部引用し、ざっくり和訳)

 

半円形の台座跡。

エピダウロス遺跡

 

Akoai(古代ローマ浴場の複合施設)

水路の先にあるのは、当時、さぞ立派だったろうと思われる施設跡。

エピダウロス遺跡

 

さっそく、展示ボードを見てみよう。(一部引用し、ざっくり和訳)

この浴場施設は、一般に、古代の旅行家パウサニアスの記録から「アコアイ(akoai、ラテン語のaquae(=水)に由来)」として認識されている。 建物は南側にある水場(Kynortion山の泉から集められた水で、聖域のさまざまな場所に供給されている)とつながっているそうだ。

建物の面積は約650㎡、平行に並んだ4つの棟で構成されている。西側にある入り口は、第3の棟に通じ、そこには南側と東側にイオニア式列柱が並び、背後の半円形のスペースに浴槽が備わった冷水浴用の長方形の部屋(フリギダリウム)があったそうだ。この部屋から、南棟、及び隣接する北棟のすべてのエリアに直接アクセスできたとのこと。 後者には温浴施設 (テピダリウム) が含まれており、一方、最北の棟には床下暖房システム (ハイポコースト) を備えた高温浴施設 (カルダリウム) と発汗室 (蒸し風呂) があったそうだ。

建物は西暦2世紀に修復され、その西側部分は、コテュスのストアの東側にある狭いエリアを占めていたそう。その後、おそらく建物の北西の角にトイレ、南西側に個別の高温浴の部屋が増築されたそうだ。

展示ボードより (一部引用し、ざっくり和訳)

 

Akoai(古代ローマ浴場の複合施設)入口付近

エピダウロス遺跡

 

エピダウロス遺跡

 

聖域の正面玄関

広大なアスクレピオスの聖域の中心からどんどん離れ、奥まった場所へ歩いて行くと、たどり着いたのは、古代建築の基礎部分跡。何かの小神殿跡かと思ったが、これは、かつて、アスクレピオスの聖域の正面玄関だったプロピュライア(正門)跡であった。

エピダウロス遺跡

 

門とは言え、円柱のならぶ、りっぱな建物だったそう。

エピダウロス遺跡

 

さっそく、展示ボードを見てみよう。(一部引用し、ざっくり和訳)

アスクレピオスの聖域の、古代における入り口だったプロピュライア(正門)は、神聖な(お祭りの)行列が通過する入り口でもあった。そのりっぱな風格と豊かな装飾は、巡礼者に感動を与え、神に対する無条件の敬意を呼び起こしたという。また、ここプロピュライアは、エピダウロスの町から続く道と、西アルゴリドから続く道の終点でもあったという。

建物の2つのファサードには、それぞれに、6本の柱でできたイオニア式列柱が備わり、内部にはコリント式柱で形成された正方形の柱廊があったそうだ。2つのファサードの柱の上のフリーズ(建物上部の壁面に模様や彫刻が施された水平の帯状の部分)は、雄牛の頭蓋骨と花の浮き彫りで装飾されていたという。また、建物の北側と南側にある2つのスロープにより、チャリオット(一人乗り二輪馬車)も簡単に通ることができたそうだ。

プロピュライアの建立は、紀元前300年頃。1893年に P.カヴァディアスによって発見され、修復された建物の一部が、ここ、エピダウロスの考古学博物館に展示されている。原位置で保存されているのは、建物の基礎と床の石畳の一部、そして南側と北側のスロープ部分とのことだ。

古代では、プロピュライアの内側から聖域の中心への道が始まっていたそうで、この道の境界石は今でも見ることができるそうだ。

プロピュライアを出た直後、訪問者は道の右側にある井戸の前を通る。それは紀元前6世紀後半、または紀元前5世紀初頭のもので、古代末期まで継続的に使用されていたそうだ。 何世紀にもわたる時の経過で地表面は上昇し、ローマ時代には、慎重に形作られていた既存の井戸の上に、間に合わせの井戸が設置されたそうだ。 最近の発掘調査では、巡礼者たちがこの井戸の水を使って、清めの儀式を行っていたことが判明し、周囲には割れた壺がたくさん残されていたという。

展示ボードより (一部引用し、ざっくり和訳)

 

こちらが古代の井戸の跡。

エピダウロス遺跡

 

プロピュライア周辺の散策

臼のような石を発見。用途はなんだったのだろうか?

エピダウロス遺跡

 

ローマ時代の建物跡。

エピダウロス遺跡

 

つづく

冒頭写真:北側(外側)から見たプロピュライア(正門)跡。スロープはほぼ残っていなかった。

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