ひとり旅日記 ギリシャ

女ひとり旅日記 オリンピア 考古学博物館 2 ギリシャ旅119

ゼウス神殿、東側のペディメント

西側のペディメントとはまったく対照的なのが、東側のペディメント彫刻である。動きは感じられない。

オリンピア考古学博物館

 

あまりにも整然としていて、西側を見終わった後だと、拍子抜けしてしまう。一体、一体は、人間のサイズよりも大きく、もちろん迫力はあるのだが、自然と、目は再び、西側の彫刻群に吸い寄せられてしまう。(上写真の見学者も、偶然か、東側の彫刻群には背を向け、手前にある西側の彫刻群に見入っている)

しかしながら、一見、西側を見てしまうと迫力に欠ける東側の彫刻群も、描かれている神話のエピソードを知ると、動きのない「静」の中に、いろいろなドラマが隠されていることに気づく。

 

ゼウス神殿の東側のペディメント(破風):ペロプスとオイノマオスの戦車競走

ゼウス神殿の東側のペディメント(破風)は、オリンピアの重要な神話である、聖域をめぐる覇権(はけん)争いを描いています。

神話によると、ピサの王:オイノマオスは、娘のヒッポダメイアと結婚する男の手に掛かって死ぬだろう、と予言で警告されていたので、娘の求婚者全員に戦車競走を挑んだのでした。勝てば、ヒッポダメイアを妻として娶(めと)ることができるが、敗けた場合は、オイノマオスによって殺される、というのが、競争の条件でした。アレス神からの贈り物である、無敵の馬を持ったオイノマオスは、常に競争に勝ってきたのでした。

遠方のフリギアまたはリディア(*)出身のタンタロスの息子:ペロプスが現れるまでに、13人もの求婚者がすでに亡くなっていました。
その後の熾烈な戦車競走で、ポセイドンから強い馬を授かり、ヒッポダメイアと戦車の御者:ミュルティロスに助けられ、ペロプスはオイノマオスを打ち負かし、彼を倒しました。ペロプスはその後、ペロピッド(pelopid)王朝を設立し、これまでアピアと呼ばれていた半島に、自分の名を付けてペロポネソス半島とし、その支配者になりました。

ゼウス神殿の東側のペディメント(破風)の中心人物は、聖域の守護者であるゼウスであり、その大きなサイズ(保存された高さは、2.91 m)は、他のすべてを凌駕していました。
彼の右側にはオイノマオスと彼の妻:ステロペが立っており、左側にはペロプスとヒッポダメイアが立っています。その隣には、競技者2人の4頭立て戦車が続きます。最初にひざまづく2人の人物は、ミュルティロスとヒッポダメイアの召使いです。次にひざまずく2人の人物は、オリンピアの司祭の2家族、ラミデス家とクリティアデス(clytiades)家に属する予言者です。

特に興味深いのは、顔に手を当てている年老いた予言者で、それは、これから起こる悲劇的な出来事を予見している姿を表しています。これは、この時代の芸術の、一般的な特徴である、理想化された人物像とは対照的に、個々の特徴を表す「厳格様式」彫刻の最初の人物像です。
そして、ペディメント(破風)の 両はじは、オリンピアの神話上の川、アルフェイオス川とクラデオス川を擬人化した2人の横たわる姿で占められています。

作者はわかりませんが偉大な彫刻家の作品である、パロス島の大理石で作られたこの記念碑的な芸術作品は、その堅固さと、まさにこれから起ころうとする出来事の前の、人物たちから発せられる静かなる悲劇によって、際立っているのです。

オリンピア考古学博物館、展示ボードより、一部引用し、和訳

(*)現在のトルコに位置するそうです。

 

こちらが、これから起こる悲劇を予見しているとされる予言者像。

オリンピア考古学博物館

 

神話にひとりごと

ペロポネソス半島の名前がペロプスから来ていたとは!

ペロプスという英雄については、まったくのノーマークだった。

ガイドブックによると、彼は、オリンピック競技の創始者ともされていることから、もしかしたら、その最初の競技は、神話に因んで戦車競走だったのではないか、などと想像が膨らむ。

あー、ペロプスは、ここ、ペロポネソス半島のオリンピアでは、とても、とても、重要な人物だったのだ!

オリンピア遺跡の中にかろうじて残る、案内板がなければ見過ごしてしまうようなペロピオンを思い出す…あれは、遺跡の中でも、最も古い時代のもので、ペロプスは本当に古くから祀られてきたのだった!(後の世になって、五角形の囲いと入口の門が増築されたのだ)

博物館の展示ボードにもあるように、この戦車競走の神話の重要性を、遅ればせながら噛みしめる。そして、聖域の守護者ゼウスを中心とした彫刻装飾の一場面に、なぜこの神話が選ばれたのかも、理解できるような気がしてきたのである。

東は、ペロポネソス半島とオリンピック競技の創始に絡む大切な神話、西は、ペルシャ戦争を暗示した、神(理性)とその対極にあるものとの闘い、を表わしていたのだ。

つづく

冒頭写真:「ペロプスとオイノマオスの戦車競走」の彫刻群(部分)

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