ひとり旅日記 ギリシャ

女ひとり旅日記 オリンピア 考古学博物館・考察 ギリシャ旅118

彫刻の迫力!

さて、たっぷりと休息をとり、元気モリモリになったわたしは、ふたたび考古学博物館の門をくぐった。館内に入ってすぐの、大きな広間には、ゼウス神殿の破風を飾っていた彫刻群が立ち並んでいる。

その中の「ラピタイ族とケンタウロス族との戦い」と題された彫刻群に、わたしは目を奪われ、立ち尽くしてしまった。(冒頭写真)

なんという迫力か!

今までいくつもの古代の彫像を、ギリシャの博物館で見てきたが、こんな風に感じたのは初めてだった。

というのも、美しい神々や英雄などの彫像は、優美でありながらも、どこかぎこちない、シンボル的要素が強く、大体いつも同じような顔をして、同じようなポーズをとっている(悪く言えば、美しいけれども、ちょっとマネキンやロボットぽく見えてきて、つまらない)という印象をもっていたのだが、それを打ち破るものが、ついに目の前に現れた、という感覚だった。

酒に酔い、理性のタガが外れた獰猛(どうもう)なケンタウロスが、欲情のまま女性に乱暴をはたらこうとし、カオスの場と化した祝いの席(結婚式)が描かれている。その躍動感あふれる一瞬の場面が見事に切り取られ、しかも、複雑に絡み合った彫像たちは、ゼウス神殿の三角形の破風におさまるよう、きちんとバランスや配分が、計算し尽くされている。

彫像の一体、一体は、実際の人間のサイズよりも大きい。これらが神殿の破風を装飾していたと思うと、ゼウス神殿はどんなに大きく、りっぱだったのか!!と思わずにはいられなかった。

顔の表情のナゾ

そうこうするうちに、わたしは、彫刻群の中のケンタウロスから目が離せなくなっていた。苦痛にゆがむ生々しい表情が恐ろしくて耐え切れず、目線を外すのだが、また、なぜかケンタウロスの顔を見てしまうのだった。

オリンピア考古学博物館

 

しかし、さらに恐ろしかったのは、ケンタウロスと闘っている男性の顔だった。ケンタウロスが凶暴にも、男性の腕に嚙みついているのだが、噛まれている男性の顔に、なぜか微笑みが浮かんでいるように見えて、ギョッとした。

オリンピア考古学博物館

 

ヒゲをむしられそうになっているケンタウロスは、痛みで悲鳴を上げているというのに、かたや、腕を噛まれている男性には表情がない、というより、むしろ挑戦的に口角が上がっているように見えた。恐ろしかったが、わたしは彼の顔からも目線を外すことができなかった。

彫像は、見る位置や角度、光の当たり具合によって、表情を変える。特に、顔の表情は変化しやすいので、いろいろなアングルから見ると興味深いのだが、しかしながら、そうやって、腕を噛みつかれた男性の、ナゾの微笑みに気づいてしまったわたしは、これがなかなか忘れられなかった。

意外なところからの答え

話は飛ぶが、ギリシャから帰国後、偶然、BSの旅番組でオリンピア特集をやっていた。画面を注視していると、ちょうど「ラピタイ族とケンタウロス族との戦い」が取り上げられ、ついに、わたしは知りたかった疑問の答えを、テレビを通して専門家の口から得ることができたのだった。この彫刻群は…

神とケモノの違いを、如実に表したもの

…とのことだった。

つまり、神は理性として表現され、ケンタウロスは、その対極として表現されているそうなのだ。

中心に、力強く、直立不動で立つアポロンは、こんな状況でも、まったく乱れぬ、神性を表わしている。

考察

となると、見学当時、わたしが感じた顔の表情の違和感にも、同じことが当てはまるのだろう。

中心のアポロンはもちろんのこと、アポロンの向かって右にいる、今まさに目の前のケンタウロスに、一撃を加えんとするテセウスの美しい横顔は、無表情であり感情のない顔なのである。(テセウスは、頭が牛の怪物ミノタウロスを倒した英雄であり、ポセイドンの血を引くという伝説もあるらしい)

オリンピア考古学博物館

 

また、今、改めてこうして見てみると、上述した、ケンタウロスに腕を噛まれている男性をはじめ、ケンタウロスに襲われたり、連れ去られそうになっている女性たちの表情も、意図的に抑えられているのか、誰一人として、悲鳴を上げたり、助けを求めて泣き叫んだりしている者はいない、と気づく。

そう、ここで、感情に身も心も支配され、暴走し、乱れに乱れているのは、ケモノである、ケンタウロスのみ、なのだ。

こうした、神とケモノの徹底したコントラストを描いているのが、この「ラピタイ族とケンタウロス族との戦い」なのである。

さらなる考察

ここで最初の話に戻るが、この「ラピタイ族とケンタウロス族との戦い」に、わたしが迫力や躍動感、生々しさを感じたのは、神々とは対極の存在である、ケンタウロスが、神々の理性の領域を、蹴破(けやぶ)って大暴れしていたからだったのだ。

恐ろしいケンタウロスの顔を何度も見てしまったり、アポロンやテセウスの静かな表情や、腕を噛みつかれてもなお、微笑む男性の顔を見て、畏怖の念を抱かずにいられなかったのは、自分が、感情と理性がせめぎ合う人間だからなのだろう。

そして、感じたこと

とにかく、この「ラピタイ族とケンタウロス族との戦い」を見た瞬間、「あー、だから自分はここに来たんだ(この彫刻を見るために)!!」と思った。

そして、この傑作を、目の前でじっくり見ることができて本当に幸せだった。もしこれが、神殿の破風に今でもあったなら、こんな風には鑑賞できなかっただろう。

最後に

「ラピタイ族とケンタウロス族との戦い」の展示ボードの説明は下記の通り。ペルシャ戦争(紀元前5世紀前半)を暗示した彫刻とも言われ、また違う視点を得ることができる。

ゼウス神殿の西側のペディメント(破風): ラピテス族とケンタウロス族の戦い

ゼウス神殿の西側のペディメント(破風)の彫刻は、ラピテス族とケンタウロス族の戦いを表わしています。

神話によると、ケンタウロスはラピテス族の王ペイリトオスとヒッポダメイア(デイダメイア)の結婚式に招待されました。酒宴の最中に、ケンタウロスたちは酔っぱらい、国王のもてなしをいいことに、美しいラピテス族の女性たちを誘拐しようとしたのです。

この彫刻群は、激しい乱闘で入り乱れた人物たちの、力強い動きで構成されています。

中心には、右手を伸ばし、平和と秩序を課す、アポロン神 (高さ: 3.09m) の穏やかな姿があります。彼の右側にいるペイリトオスは、…美しい新婚の花嫁ヒッポダメイアを捕まえた、ケンタウロスのエウリュティオーン(エウリュトス)を攻撃しています。

アポロンの左側では、テセウスが、ラピテス族の女性に襲い掛かった、別のケンタウロスに一撃を加えようとしています。その隣(各々のサイド)には、地面にヒザをつき足をひきづっている人物のペアが複数おり、さらに片すみには、2人のラピテス族の女性が、地面に腹ばいに寝そべって不安げに様子を見守っています。

美しさと知性に満ちたラピテス族の姿は、暗黒の力と獣のような心を体現しているケンタウロスの野蛮な顔とは対照的です。

この壮大な彫刻における、野蛮人に対するギリシャ人優位の、象徴的意味は明らかです。なぜなら当時、文明世界を震撼させたペルシャ戦争の出来事は、いまだ色褪せず、全ギリシャ国民の意識に深く刻み込まれているからです。

オリンピア考古学博物館、展示ボードより。一部引用し、和訳

 

つづく

冒頭写真:「ラピタイ族とケンタウロス族との戦い」の彫刻群(部分)

 

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