ひとり旅日記 ギリシャ

女ひとり旅日記 エピダウロス 遺跡見学の再開 ギリシャ旅149

遺跡見学スタート

考古学博物館でいったん体をクールダウンさせた後、改めて、遺跡見学を開始した。

カタゴゲイオン

まずは、博物館から一番近い場所にあるカタゴゲイオン跡(ギリシャ全土から訪れた患者とその付添人の宿泊所)を見てみよう。

エピダウロス遺跡

 

広大な正方形の建物であるカタゴゲイオンは、4つの正方形に区切られ、その4つの区分それぞれに、周囲を部屋に囲まれた中庭があったそうだ。写真上(↑)の手前に見える石の土台は、おそらく中庭を囲っていた部屋の仕切り壁跡なのだろう。

さっそく、展示ボードを見てみよう。(一部引用し、ざっくり和訳)

紀元前4世紀後半に建てられたカタゴゲイオンは、聖域を訪れる数多くの訪問者や巡礼者、患者とその同伴者の宿泊施設として利用された。

この大きな四角形の建物(5822㎡)は、同じ大きさの4つの正方形で構成され、その各々に、周りを部屋で囲まれたドーリア式柱廊を伴う中庭があったという。そして、1階と同じ数の部屋が上階にもあったと考えられ、合計160の部屋があったと推定されているそうだ。

特徴的なのは、建物の原形には、東側の2つの正方形ユニットと西側の2つの正方形ユニットの間には通路がなかったことで、聖域が混雑していない時や医療上の理由 (伝染病など)のため、建物の一部を隔離/閉鎖することができたと考えられているようだ。

ローマ時代に、主に東側部分の修復、および改造がされたが、建物の崩壊後は、建築材料の多くが取り除かれ、聖域内の他の建築物に再利用されたそうだ。

展示ボードより(一部引用し、ざっくり和訳)

 

カタゴゲイオン周辺。

エピダウロス遺跡

 

カタゴゲイオンの(おそらく)中庭あたり

エピダウロス遺跡

 

(同上)柱の断片が残っている。

エピダウロス遺跡

 

ギムナシオン(ヘスティアトリオン)

続いて、広大なギムナシオン跡。

エピダウロス遺跡

 

ギムナシオンと言えば、運動(競技)の練習所/訓練所であるが、展示ボードによると、ここは「ヘスティアトリオン(Hestiatorion)の複合施設」と紹介されている。

展示ボードを見てみよう。(一部引用し、ざっくり和訳)

紀元前300年頃に建立されたこの複合施設 (宴会場) は、ヘスティアトリオンとその北西に位置するプロピュライア(正門)で構成されているとのこと。ここで、アスクレピオス崇拝における(生贄を調理した)神聖な食事会が催されたそうだ。長方形の建物で (寸法 76m x 70m) 、大きな中庭の両側には、ドーリア式柱16本が並び、柱廊の後ろには、大小さまざまな大きさの部屋があったという。壁は、石の基礎の上に粘土レンガを積んでモルタルで覆って作られたそうだ。

神殿の形をした建物(正面に6本のドーリア式柱と3段の基壇、そして基壇の上へと続く広いスロープのある建物)の北側にあるプロピュライア(正門)が、複合施設の正面入り口だったそうだ。建物の東側にある廊下の突き当たりに第二の入り口があり、そこには小型の馬車が出入りできるよう、スロープがあったとのこと。 そして最後に、第三の入り口が、西暦2世紀に、水場を利用できるよう複合施設の南東の角近くに設置されたそうだ。

主に東側の部屋に残っているカウチ(長椅子)の跡と、中庭に残った食物と火の跡は、アスクレピオスの崇拝に関連した儀式的な食事会が、この建物で行われたことを示しているとのこと。毎年恒例の祭りの期間は、都市から祭りの行列が聖域に送られ、生贄を調理した食物の一部が神に捧げられ、残りは崇拝者によって分配されたという。

また、この複合施設は、トレーニングをするために設計された、とも考えられており、中庭のストア(柱廊)の全長が、屋根付きの競走用トラックの一つに似ているなど、ギムナシオン(運動施設)と共通の特徴を有しているそうだ。

ヘスティアトリオンは、紀元前1世紀に、キリキアの海賊の襲撃を受け、主に西側を部分的に破壊されたという。西暦2世紀には、中庭に屋根付きの舞台、オデオン(音楽堂)が建てられ、祭りの音楽と儀式が引き続き行われていたそうだ。

ローマ時代に、プロピュライア(正門)は健康の女神ヒュギエイア(アスクレピオスの娘)の神殿に変えられ、今でもプロピュライア(正門)前には、彼女の名前が刻まれた石の祭壇が残っているそうだ。

展示ボードより(一部引用し、ざっくり和訳)

 

別アングルからの、ギムナシオン(ヘスティアトリオン)とオデオン跡。

エピダウロス遺跡

 

エピダウロス遺跡

 

オデオン(音楽堂)跡。

エピダウロス遺跡

 

こちらは、部分的に復元されたギムナシオン(ヘスティアトリオン)のプロピュライア(正門)跡。

エピダウロス遺跡

  

広大な遺跡は、ほとんど基礎部分しか残っていないので、とにかく目立つ。

エピダウロス遺跡

 

エピダウロス遺跡

 

基壇は3段で、入り口がスロープになっている。

エピダウロス遺跡

 

正面に6本の柱があっただろうことがわかる。

エピダウロス遺跡

 

エジプトの神々の聖域

こちらは、エジプトの神々の聖域跡。西暦2世紀頃のもの。

エピダウロス遺跡

 

ここでは、エジプトの神:ホルス、オシリス、イシスが、それぞれアポロン、アスクレピオス、ヒュギエイアと同一視され、崇拝されていたそうだ。

中はこんな感じ(展示ボードより)

エピダウロス遺跡

 

無造作に転がる円柱の遺物。

エピダウロス遺跡

 

アルテミス神殿

こちらは、アルテミス神殿跡(部分)。

エピダウロス遺跡

 

さっそく、展示ボードを見てみよう。(一部引用し、ざっくり和訳)

アポロンの妹、アルテミスの崇拝は、すでに紀元前5世紀にアスクレピオスの聖域に存在していたことが、碑文によってわかっているそうだ。 彼女はアルテミス・ヘカテとして崇拝され、小さいながらも優雅な神殿は、1884年にP.カヴァディアスによって発掘されたという。その建材の一部は、近くのローマ時代の建造物の壁に埋め込まれていたそうだ。

紀元前4世紀後半に建てられたこの神殿は、正面に6本のドーリア式柱を備えた前柱廊式で、内室を囲む3つの側面にはイオニア式柱が12本並んでいたそうだ。神殿の外観はドーリア式エンタブラチュアで装飾され、雨水の排水口は、犬とイノシシの顔がかたどられていた。これら特定の動物の使用で、アルテミス・ヘカテの神殿であることが際立ち、明確に示されていたとのこと。ニケの姿をした2つのフィニアル(建物上部を飾った彫刻)が東の破風の下角に配置され、もう一つ別のフィニアルが破風の頂点に設置されていたという。

プロナオスの入り口前には、スロープと広い石畳の路が設置され、神殿とその向かいにある祭壇とを結んでいたそうだ。

神殿の基礎と上層部には、柔らかい石灰岩と硬い石灰岩が使われ、屋根やタイル、樋、雨水の排水口、フィニアルには大理石が使用されたとのこと。発掘者によって部分的に復元され、博物館に展示されている建築装飾には、今もなお、見ることができる、古代の色彩の痕跡が残された本物の建材が使用されているそうだ。

展示ボードより(一部引用し、ざっくり和訳)

 

その他

こちらは、小さなお社(やしろ)跡?

エピダウロス遺跡

 

こちらは、古代の水場だろうか?

エピダウロス遺跡

 

エピダウロス遺跡

 

(上写真の拡大↓) 水槽の壁がコーティングされている様子や、左下に排水口らしき穴が開いているのがわかる。

エピダウロス遺跡

 

外には水路が設置され…

エピダウロス遺跡

 

…その水路の先は、地面の穴に続いているように見えた。

エピダウロス遺跡

 

つづく

冒頭写真:ギムナシオン(ヘスティアトリオン)、エピダウロス遺跡

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