宮殿跡へ 2
獅子門から伸びる、石の傾斜路を上ったところ。正面には、ピラミッドのような、きれいな山がそびえる。
展示ボードによると、傾斜路の南端には、 4つのヘレニズム時代の部屋が並んでいるそうである(上の写真は、ちょうど、その辺りのもので、部屋を区切っている石壁の跡がわかるだろう)。それらは、織物の加工と染色に関連した建物、と考えられているそうだ。
さて、ここからは、山の斜面にジグザグに作られた小道をたどって、坂を登って行く。
見上げれば、石積の跡だらけの斜面。
眼下には、ちょうど、戦士の壺の家跡が見える。
遠景写真(ズーム使用)。広々とした平野と遠くにかすむ山々。右手に見えるのは駐車場。
アトレウスの宝庫付近に路駐するバス。(駐車場より300メートル下ったところ)
斜面の道は、ところどころ金網の板が渡してある。下が透けて見えるのと、傾斜がついていて滑りそうな気がして、なかなかスリルがあった。
かなり登ってきた。
途中、斜面のあちこちで、石に腰掛け、景色をボーっと眺めながら、休んでいる人たちを見かけた。たしかに、ここミケーネは山上にあるので、冷たい風が心地よい。
獅子門に入る前は、うだる暑さに、今日も灼熱の一日を覚悟していたものの、ここは木陰がないにもかかわらず、本当に涼しかった。大自然の中の澄んだ空気、吹き抜ける涼風、そして、眼下に広がる平野、それらを取り囲む山々…、本当にすばらしい。
しばらく登り続けるも、入り口前の駐車場でさえ、すでに崖の上にあったので、かなりの高さにいるのだろうと思う。
木々のドット模様。
石積の跡。
しばらく行くと、少し開けたスペースに出る。(冒頭写真をご覧ください)
展示ボードによると、ここは宮殿への正門(プロピュライア)跡だそうだ。当時、正方形の敷地だったこの場所は、中央で、ドアの付いた壁で分割されており、それぞれに1本ずつ柱が立つ、計2本柱の柱廊玄関だったそうである。現在、残るのは、2本の柱の土台のみ、とのこと。
プロピュライア跡から見た景色 ↓
プロピュライア跡から見た、左方向の景色 ↓
しばらく歩くと、前方に、再び、三角のきれいな山。
ついに頂上へ、宮殿跡
開けたスペースへ出るも、そこが頂上であり、めざす宮殿跡であった。
下写真:大広間跡(中庭跡)
下写真:大広間跡と左端にわずかに見える「ひかえの間」の柱の土台跡
下写真:上の写真の拡大。左端に「ひかえの間」の柱の土台跡が見える
「控えの間」に続く前室と王の間(メインホール) ↓ (向こう側で見にくいです)
下写真:王の間(メインホール)(おそらく、屋根の下に炉床があるのでしょう)
下写真:上の写真の拡大。炉床の周りにあった4本柱のうちの1つ、柱の土台跡が見えた。
宮殿跡地には入れないので、なかなか苦労するが、ここは、ミケーネ文明の宮殿の特徴などを、事前に調べておくと良いだろう。
展示ボードによると、宮殿の主要部分は、大きな中庭と、入り口の柱廊玄関、プロドモス(前室)、そして中央に大きな円形の炉床を備えたメインホール(ドモス)で構成されているメガロンを含む、とのこと。玉座は、ドモスの南壁(部屋の南東部分とともに、山腹に崩れ落ちたが、最近再建された)に沿って中ほどに立っていたそうだ。メガロンは、ミケーネの政治、行政、軍事、経済の中心地であったが、おそらく火災により、紀元前13世紀後半に破壊されたそう。一部は、紀元前12世紀に再建されたと考えられるが、かつての栄光は失われてしまったそうだ。
メインホールのりっぱな石垣 ↓
(上写真↑)メインホールの左斜め後ろへ回りこみ、石垣を撮影。猛々しくそびえる山城の雰囲気を感じ取れる(ちょうど、メインホールの南東にあたるので、ここが再建された部分なのかもしれない)。
下写真:近辺の崖を散策中に、古い石積みを発見。
冒頭写真:宮殿の正門(プロピュライア)跡