ナフプリオンを拠点とした、おすすめの遺跡(3つ)の日帰りバス旅を案内します。ナフプリオンの旧市街観光については、こちら(ナフプリオン 美しい海の街と絶景 下)をご覧ください。
実際の旅(5月末~6月頭)では、前日にオリンピアからナフプリオンに移動し、前泊しました。
1日目:ミケーネ遺跡見学 & ナフプリオン旧市街散策
2日目:エピダウロス遺跡見学 & ナフプリオン旧市街散策
3日目:ティリンス遺跡見学 & ナフプリオン考古学博物館見学 → 17:00発のバス便でコリントスへ出立
参考になれば幸いです。
目次
ミケーネ遺跡見学(Ancient Mycenae)
ミケーネと言えば…あまりにも有名な神話、トロイア戦争から帰還したミケーネ王アガメムノンの悲劇…を思い出します。そして、こうした神話の舞台となった古代都市を、実際に発見し、偉大な業績をのこしたシュリーマンのことも、忘れることはできません。
ミケーネについて
遺跡のパンフレットから、一部引用させて頂きます。
ミケーネは、ミケーネ世界の中心に位置し、紀元前16世紀から紀元前12世紀にかけて、ギリシャ全体を通して進化したこの期間と文明の名前になりました。…
地形を活かし、強固に防御されたミケーネのアクロポリスは、周辺地域とアルゴスの平原を支配し、あらゆる方向の(ペロポネソス半島とギリシャ本土への)通信ルートを制御するため独自に配置され、王家一族とその人々を収容するのに最も適した場所でありました。
丘での生活はさらにさかのぼります。発掘調査は、ハインリヒ・シュリーマンによって1874年に開始され、現在も続いています。紀元前3千年紀には、すでにこの場所に人が住んでいたことが示されています。また、…おそらく、ミケーネ王朝の創始者であるペルセウスや彼の子孫、エウリュステウス王(彼はヘラクレスに「12の労働」を課し、最終的にアッティカでヘラクレスの子供たちによって殺されました)より前の時代の、統治者の栄光と力を証明する、中期ヘラディック(青銅器)時代 (紀元前1900年~紀元前1580年) の輝かしい創造物が明らかにされています。
アトレウスと彼に続く子孫:アガメムノン、オレステス、テイサメノスの王朝:ミケーネ王朝は、その他の地域、ペロポネソス半島、ギリシャ本土、エーゲ海、遠く離れたクレタ島を治める支配者に自らを課し、ギリシャ軍を率いトロイア遠征を行いました。
城塞の難攻不落のサイクロプ式石積の壁の中では、アガメムノンの家族の恐ろしい苦しみの生活が繰り広げられました。彼ら(クリュタイムネストラ、イフィゲネイア、エレクトラ、オレステス、およびアガメムノンのライバルであるアイギストス) は、ホメロスの詩、古代ギリシャ悲劇、そして、ルネッサンス後の西欧古典文学や国際文学の題材をも提供しました。これらの人物たちは、特定の建造物で確実には識別することはできません。しかし、確かなことは、ミケーネのアクロポリスで、ミケーネ人とその祖先たちの生活とその遺産が発見されたということです。
ミケーネ遺跡のパンフレットより 一部引用し和訳
遺跡の見どころ
遺跡のパンフレットから、引用させて頂きます。
ミケーネ遺跡の地図(日本語など加筆しています)
- アトレウスの宝庫: 最も代表的で、最も保存状態の良いトロス式墳墓です (紀元前1250年)。
- 家屋の複合体:油商の家として知られる家屋を含んでいます。
- 円形墳墓 B: 中期ヘラディック(青銅器)時代 (紀元前17世紀~紀元前16世紀) の王家の墓地。これらの発掘により、いくつもの芸術的傑作が発見され、それらは現在、アテネの国立考古学博物館に展示されています。
- クリュタイムネストラのトロス式墳墓(紀元前1400年~紀元前1300年)。
- アイギストスのトロス式墳墓(紀元前1510年~紀元前1460年)。
- 獅子のトロス式墳墓(紀元前1460年~紀元前1400年)。
- 獅子門: 要塞化された城への記念碑的な正門。その名前は、鴨井/まぐさの上の三角の部分を覆っている 2 頭の向かい合うライオンの浮彫に由来しています。長さ約900m、厚さ5.50m~7.50m、高さ12mのサイクロプ式石積の壁の構造は、それらが建設された期間 (紀元前1350年~紀元前1200年) の驚くべき技術の偉業であり、神話の一つ目巨人:キュクロープスに何らかの根拠があるとされています。
- 倉庫。
- 円形墳墓 A: 後期ヘラディック I 期 (紀元前16世紀) の初めにさかのぼる王家の墓地。使用されていたとき、墓地は壁の外にありました。現在、アテネの国立考古学博物館に展示されている黄金のマスクや、その他のさまざまな傑作が発見されました。
- 支配者の臣下に属する家屋群。
- 彫像の家:礼拝所では、いくつかの非常に重要な、擬人化された蛇の像が発見されました。それらは現在ナフプリオン考古学博物館に展示されています。
- 記念碑的な階段、中央の中庭、メガロンを備えた宮殿 – 王の公的な生活拠点であるそれは、プロピュライア(前門)、表玄関、メインホールに分かれた…長方形の建物です。メインホールは玉座の間で、屋根…を支える4本の柱に囲まれた、地面に掘られた炉床が、部屋の中央に設置されています。メガロンの建築様式は、有史時代の古いギリシャ神殿の建築様式を予示(よじ)しています。
- 列柱の家とアーティストの工房。
- 北門。
- 貯水槽。この場所は、私たちが関与している時代(※)の遺跡が、後の時代の、特にヘレニズム時代の遺跡に囲まれているため、解釈の難しい遺物で密に覆われています。 かつての栄光を失った要塞は、その所在/位置ゆえに、無秩序と混乱の時代、そこに保護を求めた人々の避難所となり続けました。
ミケーネ遺跡のパンフレットより 一部引用し和訳
※「青銅器時代(ミケーネ時代)」を示していると思われます。
考古学博物館
遺跡の敷地内にあります。入館料は遺跡入場料(旅行当時:12ユーロ)に含まれています。黄金のマスクなどの重要な出土品はレプリカが展示され、本物はアテネの考古学博物館に展示されています。
しかしながら、見応えは十分あり、神話に登場したミケーネ王朝以前にも、この地に優れた文明が存在した、という証(あかし)を見ることができます。
ナフプリオンからの行き方(公共バス)
ナフプリオンのバス・ステーションから、ミケーネ(Mikines)行バスに乗車、所要時間は45分ほどです。山と畑が延々と広がる土地の、丘の中腹にある駐車場から小道をたどれば、自然と遺跡へ着きますので、迷うことはありません。(※下記「注意点 6」もあわせてご覧ください)
注意点
1.遺跡の歩道はコンクリートで整備されていますが、斜面はところどころ金網の板が歩道として設置され、遺跡内はむき出しの地面、石、階段などを歩きます。歩きやすい(滑りにくい)靴がオススメです。
2.城塞跡は見晴らしの良い高台にありますので、平地よりも涼しく、風が吹く可能性があります。(夏場は良いと思います)
3.水を携帯しましょう。小腹を満たすもの(アメなど)の持参もオススメです。
4.考古学博物館内の写真撮影は、かならず事前にルールを確認しましょう。(旅行当時:フラッシュは禁止、撮影はOKでした)
5.「アトレウスの宝庫」は、他の遺跡群と離れていますので、見学を忘れないように注意しましょう。駐車場より車道の坂を300メートルほど下ったところにあります。
6.ナフプリオンのバス・ステーションの窓口で、念のため、遺跡のバス停の位置を確認しましょう。半年に一度、変わる可能性があります。詳細はこのページの最終章(バスの時刻表、バス停の変更、その他の注意)をご覧ください。
「女ひとり旅日記 ミケーネ遺跡見学」はこちらからです。
エピダウロス遺跡見学(Ancient Epidavros)
エピダウロスは、医神アスクレピオスの誕生の地であり、その聖域には神殿だけでなく、医療施設がもうけられ、主に睡眠や運動、食事療法、観劇、音楽療法などが治療として施されていたそうです。また、夢判断など、信仰が絡む神秘的要素も強かったそうです。
エピダウロスについて
現地の観光パンフレットから、一部引用させて頂きます。
エピダウロスの内陸奥深くには、全ギリシャ、全ローマ世界における、最も重要な癒しの中心地が2つありました。紀元前800年頃に設立された、癒しの特性を持つ神:アポロ マレアタスに捧げられた聖域と、紀元前6世紀に崇拝が確立された、古代の医神:アスクレピオスの聖域です。
最も重要なモニュメントは 紀元前4世紀と紀元前3世紀のものです。平野の聖域には、アスクレピオス神殿、アバトン(仮眠所)、トロス(円堂)と劇場、レストラン、カタゴゲイオン(宿泊施設)、スタジアムがあります。 山の聖域には、アポロンの神殿と祭壇、大きなストア、司祭の住居、ミューズの境内があります。
観光パンフレットより 一部引用し和訳
遺跡の見どころ
平地に広がる広大な遺跡です。その中でも、一番の見どころは古代劇場です。その堂々たる立派な劇場は、今でもなお、美しい形をとどめた現役の劇場施設です。ぜひ、客席に腰掛け、舞台を見下ろし、古代の雰囲気や優れた音響効果を体感してみてはいかがでしょうか。
エピダウロスの劇場は、優れた音響、優雅さ、対称的なプロポーションを兼ね備えた、この種の最も完璧で有名なモニュメントです。 毎4年ごとに、イストミア大祭に続き、歌劇、歌、アスクレピオスの戯曲コンテスト、また、アスクレピオスの崇拝の一部を形成する戯曲のパフォーマンスがここで開催されました。
観光パンフレットより 一部引用し和訳
考古学博物館
入館料は遺跡入場料(旅行当時:12ユーロ)に含まれています。
考古学博物館は、アスクレピオスの聖域の遺跡内にあります。 古代からローマ時代までの展示物には、碑文、医療器具、建築部材と彫刻、大規模な彫像、および多くの小さな奉納物が含まれます。
観光パンフレットより 一部引用し和訳
ナフプリオンからの行き方(公共バス)
ナフプリオンのバス・ステーションから、エピダウロス(Theater Asklipiio(Epidavros))行バスに乗車、所要時間は50分ほどです。(※下記「注意点 5」もあわせてご覧ください)
注意点
1.初夏~真夏に遺跡を観光する際は、水分補給、休憩をこまめにされると良いでしょう。緑あふれる遺跡で木陰はたくさんありますが、低地であるためか、ほぼ風はなく、熱気であふれていました。遺跡めぐりの合間に、うまく博物館見学を入れて、体をクールダウンさせましょう。
2.古代劇場の階段や座席は、一部、ぐらつく場所もありましたので、移動する際は、足元から目を離さずに一歩、一歩、確認しながら歩きましょう。
3.水を携帯しましょう。小腹を満たすもの(アメやビスケットなど)の持参もオススメです。
4.考古学博物館内の写真撮影は、かならず事前にルールを確認しましょう。(旅行当時:フラッシュは禁止、撮影はOKでした)
5.ナフプリオンのバス・ステーションの窓口で、念のため、遺跡のバス停の位置を確認しましょう。半年に一度、変わる可能性があります。詳細はこのページの最終章(バスの時刻表、バス停の変更、その他の注意)をご覧ください。
実際の旅で(~高所恐怖症~)
エピダウロスの古代劇場の最上席はかなりの高さになります。上がるときは問題ありませんでしたが、階段を下りかけた時、狭くて急で長い長い階段が、はるか一番下の舞台までまっすぐ続いているのを見た時、足がすくんで下りれなくなりました。手すりも踊り場もありません。結局、観客席の一番はじっこの階段から、壁につかまりながら下りることになりました(笑)。
「女ひとり旅日記 エピダウロス遺跡見学」はこちらからです。
ティリンス遺跡見学(Ancient Tiryns)
平地に、突如として現れる大規模な建造物。廃墟でありながら、どこか威厳あふれるその風格に、ミケーネ、エピダウロスへ向かうバスの車窓から、不思議な気持ちで眺めていました。それが、後日、ティリンス遺跡とわかった時の衝撃は…今も忘れることができません。
ティリンスについて
遺跡のパンフレットから、一部引用させて頂きます。
ティリンスの低い丘には、新石器時代から古代末期まで継続的に人が住んでいました。先史時代の、特に青銅器時代の初期と後期に、この場所は栄えました。
初期のヘラディック(青銅器)時代 (紀元前2700年~紀元前2200年) の第2段階では、人口が密集した重要な中心地となり、丘の頂上に直径27メートルのユニークな構造が特徴の、円形の建物が建築されました。青銅器時代後期に、丘は徐々に要塞化され、「サイクロプ式」石積の壁が、複合宮殿や、主に支配者階級に使用された礼拝所、倉庫、作業場、家屋などの建物の周りを囲みました。
アクロポリスは、丘の北部 (高い場所) から南部 (低い場所)にかけて、3 つのセクションに分かれていました。つまり、城塞の高層建築部、中層建築部、低層建築部です。「サイクロプ式」石積の壁は、紀元前14世紀初頭と後期、そして紀元前13世紀半ばの3つの建築段階を経て建設されました。
アクロポリスへの正門は東側にありました。それは長さ47mの大きな傾斜路を経由して、城塞の上層部につながっていました。ミケーネの獅子門と同じ構造の大きな門は、宮殿に通じる印象的な小道の出発点を示していました。
中庭と2つのプロピュライア(前門)によって遮られた回廊を通過します。1つは大きく、もう1つは小さく、1つは中央の中庭で終わっていました。 南側に祭壇を備えたこの柱廊に囲まれた中庭は、大きなメガロンと一体になっていました。
ミケーネ宮殿のイデオロギーの壮大さは頂点に達し、これらの空間で具現化されました。最高の支配者である、線文字Bの粘土板のワナカは、ここで公賓と臣下に接し、最も重要な儀式的行事を行いました。…
複合宮殿の中の大きなメガロンや、その他の建物の床と壁を飾っていた精巧なフレスコ画は、ミケーネ時代の栄華を物語っています。
しかしながら、宮殿体系の威力が主に表れていたのは、その建築上の成果にありました。印象的な城塞とは別に、これらには回廊が含まれます。高い場所にあるアクロポリスの壁の東側と南側に造られ、それらは貯蔵エリア (蔵)として機能していた一連の部屋に付属していた長い廊下で構成されていました。東と南の回廊は、持送り構造(コーベリング技法)に従って建設されました。…
城塞の高層建築部の北側とより低い階層には、宮殿の作業場を担っていた場所、城塞の中層建築部があります。湾曲した要塞と塔で守られた階段でアクセスできました。これは、防衛的な特徴を示すミケーネ要塞建築の最高の例となっています。
要塞の最北端、低層建築部は、ほぼ全てを備えた自給自足型で、その内壁には、尖った丸天井を備えた28もの部屋が建設され、持送り積み(コーベリング技法)で建設された地下の泉(syringesと呼ばれた)への通路が2つありました。
住宅や作業場、倉庫として使用された密集した建物の複合体は、北門で終わる本道の軸に沿って編成されました。西側の記念碑的な建造物である別の門は、城塞の低層建築部への本道を提供しました。
紀元前13世紀後半、大地震がアクロポリスの壁と建物に深刻な被害をもたらし、その後の火災で完全に破壊されました。この大規模な自然災害は、宮殿の統治体系の消滅の誘因となりました。…紀元前12世紀には、都市計画を伴う大規模な集落が、下の平野に組織されました。城塞の低層建築部内では、メガロンの形をした建物が聖域として機能していました。 しかし、衰退は避けられませんでした。
有史時代の初めには、要塞化されたアクロポリスは、ほぼ完全に放棄されたに違いありません。ティリンスに残っていた少数の住民は、散らばった形に単位を作り、墓地に囲まれるような形で住んでいました。
城塞の高層建築部の1つの遺構(Bothrosと呼ばれる)からの印象的な出土品、および、syringesエリアからの古い碑文は、宗教的儀式の存在を裏付けています。…神々には、ヘラ、アテナ、アポロンが含まれていました。
ティリンスは、組織化された政治共同体の形をとっていたにちがいないという事実にもかかわらず、紀元前5世紀の前半、ティリンスを破壊し住民を追放したアルゴスと張り合うことはできませんでした。2世紀にティリンスを訪れた旅行家のパウサニアスは、その場所が放棄されていることを発見しています。
ティリンス遺跡のパンフレットより 一部引用し和訳
追記:パンフレット内の訂正( の部分について)
正しくは「丘の南部 (高い場所) から北部 (低い場所)にかけて」と思われます。(パンフレットの原文の英語は「The acropolis was divided into three sections from the northern (higher) to the southern (lower)….」と書かれていますが)パンフレット内の記述の食い違いや、パンフレット内の方位マークとの相違、また、一般に、ネット上でヒットする、ティリンス遺跡の複数の遺跡情報と照らし合わせた結果、誤文の可能性が高いと判断致しました。
下記写真:ティリンス遺跡のパンフレットの表紙を飾るフレスコ画
遺跡見学について
遺跡内には、展示ボードや案内板の設置はありませんでした。見学前に、この遺跡のことを調べたり、ミケーネ建築に共通した特徴を、ある程度、頭に入れておくと良いでしょう。こちらの遺跡もシュリーマンが発掘しました。(追記:現在、展示ボードや案内板の設置が進められているようです)
「巨人が積み上げた」と古代人が考えた「サイクロプ式」石壁の迫力は、在りし日の砦の姿を想像させてくれます。(下写真 ↓)
博物館の併設はありません。遺跡のみの見学です。この遺跡で発見された出土品は、ナフプリオン考古学博物館や、アテネ考古学博物館に展示されています。
ナフプリオンからの行き方(公共バス)
ナフプリオンのバス・ステーションから、ティリンス(Archaea Tirintha/Ancient Tiryns)行バスに乗車、所要時間は11分ほどです。乗車時、バスの運転手さんに「ティリンス遺跡で降ります」と、声掛けをしておきましょう。
注意点
1.水を携帯しましょう。こまめに水分補給をしましょう。
2.帰りのバス停(バス乗り場の目印)はありませんでした。遺跡の向かい側の道路にあるお店の脇がバス乗り場でした。しかしながら、旅行当時の話ですので、必ず、遺跡の窓口や、お店の人などに確認をしましょう。バス停が新しくできていれば、ラッキーです。
「女ひとり旅日記 ティリンス遺跡見学」はこちらからです。
バスの時刻表、バス停の変更、その他の注意
バスの時刻表について
他都市からナフプリオンまでの長距離バス、並びに、ナフプリオンからミケーネ、エピダウロス、ティリンスまでの短距離バスの情報はこちらです。HPに飛びましたら「Routes」をプルダウンして、目的地をお選びください。
次項目の「バス停の変更について」に関連しますが「10月1日から、ミケーネ、エピダウロス(Asklipiio (Epidavros Theater))のバス停が、村やカフェに変わっている」のか、実際に、HPを見て確認しましたが、そのような注意書きは見当たりませんでした(2024年10月31日現在)。しかしながら、ミケーネのページには、古い日付がそのまま残っており、ウェブの更新が適宜されているのか、疑問に思いました。
またウェブの「Routes」の中の「Routes Information」に「需要に応じて増便したり、時間や運行を変更できる権利を留保します」と書かれていることから、やはり、現地のバス事務所などで、バス停の位置を確認した方が良さそうだと感じました(変更があっても、即、ウェブに反映されるとは限りません)。
※テサロニキからナフプリオンまでの長距離バスは、こちら(KTEL Macedonia)でも確認できます。
バス停の変更について
上記でも触れましたが、バス停の変更について、念のため、旅行当時、現地で入手しましたバス会社(KTEL Argolidas)の時刻表の注意書きを、ここに共有いたします。
バス停の変更が、ないにこしたことはありませんが、特に、下記期間に訪問される方は、現地のバス事務所などで、確認されることをお勧めいたします。
また、時刻表には、バス停の変更の期間は「10月1日から5月30日まで」と書かれていましたが、念のため「5月31日」に訪問される方もご注意ください。
●ミケーネ遺跡 10月1日から5月30日まで、バス停は遺跡から1.5 km離れた mikines 村になります。
●エピダウロス遺跡 10月1日から5月30日まで、バス停は遺跡から1.5 km離れたカフェ “PROPILO” (pratirio Tzani) になります。
時刻表の冊子にも「”(乗客数が通常よりも多い場合など)…必要に応じて時間や運行を変更する権利を留保します”」と書かれていましたし、実際に、ちょうど5月末に訪れた遺跡見学では、バス停は2か所とも、村やカフェではなく、遺跡前に変更されていました。
このように、状況によって変わる可能性がありますので、念のため、ナフプリオンのバス・ステーションで遺跡のバス停の位置を確認しておくと良いと思います。
その他の注意
1.バスの便は、土日祝は減便、もしくは場所によって便がなくなる傾向にありますのでご注意ください。(冬期も減便、もしくは場所によって便自体がなくなる可能性があります)
2.ナフプリオンに着きましたら、バスステーションで、早めにバスの情報を入手し、わからないことがあれば、事前にクリアにしておきましょう。
実際の旅で
エピダウロス遺跡行きのバスを調べようと、時刻表を見るも「エピダウロス」が付く名前が複数あり、どれを見てよいかわからず、窓口で問い合わせると、遺跡に行くのは「Theater(=劇場)」の文字が付いてるもの、と言われました。他はエピダウロスの村に行ってしまうそうです。
こういった点についても、窓口でしっかり確認しましょう。
実際の旅で 2 (~余談~)
バスの時刻表に、エピダウロスからイスモスへ行く路線が載っていたので、当初、エピダウロス遺跡からイスモス経由でコリントスへ行けると思い込み、計画を立てていたのですが、バス窓口で、そのエピダウロスというのは、遺跡から歩いて15分ほどの村であることを知り、急遽、計画を変え、ナフプリオンからイスモスへ向かうことにしました。
とにかく、わかりにくいので、1つ、1つ、確認をしましょう。
●冒頭写真:ミケーネ考古学博物館、黄金のマスク(レプリカ)