のどの渇きと体力の限界
オリンピア遺跡見学後、のどの渇きもさることながら、体力の限界で考古学博物館への短い歩行も危うい気がしてきた。が、わたしは、まるで、ニンジンを鼻先につるされた馬のように、博物館の冷たいひえひえの水を自分の鼻先に思い描くと、なんとかその気になって歩き切ったのだった。しかし、いざ考古学博物館に着いてみると、売店は閉店、自動販売機は1台もなく、1滴の水も入手できない、という状況に、すっかり打ちのめされてしまったのだった。
ありえない!
手元の空になったペットボトルを見つめる。
しかしながら、博物館員さんに「町でお水を買いなさい」と促され、やっとの思いでオリンピアの目抜き通り、プラクシテルス・コンディリ通りに戻ってきたのだった。
5月下旬の強烈な暑さを喰らい、遺跡でダウンしたわたしだったが、さらに暑さが増す8月に、古代オリンピアでは競技が行われたという。
信じられない!
わたしは「超人」という言葉を、再び、思い浮かべずにはいられなかった。
黒い色のワイン
肌がじりじりと焼け、むせ返るような、逃げ場のない暑さの中、なるべく体力を消耗しないように歩いた。食事は、早朝、パトラでお惣菜パンを1つ食べたきりだったが、食欲はあまりなかった。よって、レストランには入らず、食料品店で、何か小腹を満たすようなものを買うことにした。
わたしが入った食料品店は、わりと広く、品ぞろえも豊富で、明るくきれいなお店だった。何気なくワインコーナーをのぞいてみると、なんと、パトラ名産の「マヴロダフネ」が、あるではありませんか!!
わー!!
わたしは(心の中で)飛び上がって喜んだ。
黒いブドウ!! (その名も)黒い月桂樹!!
今回の旅では、メテオラ~オリンピア間の中継地点として、あわただしく通り過ぎてしまった港町パトラであったが、実は、ワインでも有名な町であった(ほかにも、テンドゥーラという(シナモンなどのスパイスが効いている)リキュールもパトラは有名だったが、味わう時間がなく、本当に残念であった)。
しかしながら、今、こうして「マヴロダフネ」に出会えたことは、感激であった。というのも、実は、ヘンリー・ミラーの小説「マルーシの巨象」に出てきたワイン、”黒い色のワイン”とは、この「マヴロダフネ」だったからだ。
脳裏に、ワインをたたえるミラーの力強い言葉がよみがえる。
憧れのワインを手にし、ウキウキしていると、レジで…
これ、超甘口だけど…いいんだね?
と、親切な店主に念をおされた。(笑)
大丈夫です!!
満面の笑顔で即答すると、わたしは、ワインのコルクを指さし…
あの…これ、開ける道具を持っていないんですけど…
と、イチかバチか彼に話しかけてみた。すると…
大丈夫! 途中まで開けてあげるよ!
と、店主は親切にも、あとは素手で簡単に引き抜けるように、コルクを絶妙な位置まで抜いてくれたのだった。(優しい~~!!)
エフハリストー!!(ありがとう)
こうして、わたしはふくらんだ買い物袋を提げ、無事、ホテルに帰った。憧れのワインと親切な店主のおかげで、心は温かく、元気になってきたのだった。
※ワインの感想はこちら
人・人・人のレセプション
さて、クロニオ・ホテルの玄関を開けると、ものすごい光景が目に飛び込んできた。
受付のホールは、40~50人ほどの欧米人旅行客たちで埋まり、ホールに入りきれない人たちは、階段にまで広がっていた。異様だったのは、彼らが終始無言で、受付のおばあちゃまをいっせいに凝視していたことだった。
団体客のチェックインなのだろうが、おばあちゃまはすっかり舞い上がってしまっている。
この張りつめた静けさの中、わたしは、ホールを突っ切って自分の部屋へ直行するのに、少し勇気を必要とした。そして、パトラを早朝に発って正解だったし、それに、タイミング良く、このホテルに午前中にチェックインできたのは、本当にラッキーだった、と思わずにいられなかった。
さて、ここからは記憶が定かではないが、ホテルに帰ったのは、おそらく午後2時か3時ごろではなかったか、と思う。部屋では、ラスクのような何か軽いものと紅茶、それからメテオラの青空市で買ったオレンジなどを食べて、のんびり1、2時間ほど休憩したのだった。
冒頭写真:「マヴロダフネ」のラベル