ひとり旅日記 ギリシャ

女ひとり旅日記 オリンピア オリンピア遺跡見学 ギリシャ旅115

オリンピア遺跡見学4

スタジアムの全景を斜面の上から眺めた後、わたしはゲートも上から見てみたくなった。そして、そのまま斜面の上を歩き、宝庫跡を通り抜けて、スタジアムから退出した。

地上に降り立ったところで、改めてスタジアムの入り口を振り返ってみると、左側に何やら石の建造物が並んでいる。

(下の写真↓)

オリンピア遺跡

 

展示ボードの説明によると、ここにはゼウス像がズラリと並んでいたそうで、現存しているのは彫像の16個の台座のみ。これらは、ゼウスの複数形である「ザネス」と呼ばれ、不正行為をした選手たちに課せられた罰金で建てられたそうだ。スタジアムに入る直前のこの道に「ザネス」が立ち並ぶのは、決して偶然ではないだろう。選手たちは、ブレウテリオン(評議会場)で宣誓した後、さらに、スタジアムに入る直前にも、ゼウス像が立ち並ぶ進路を歩みながら、正々堂々と試合にのぞむことを誓ったのだ。

ゼウス像の台座の左上の斜面上には、かつては宝庫が複数建てられていたが、今ではほとんど残っていない。かろうじて、ニンパイオン(給水施設)手前に残っているのが見える程度である。(下の写真は、スタジアムの入り口を背にして撮っているので、宝庫跡は右側の斜面上に写っています)

オリンピア遺跡

(上の写真↑)手前に写っている石群は、メトロオン(母神殿)跡。神々の母レアまたはキュベレに捧げられた神殿で、紀元前4 世紀に建てられたそうだ。ローマ時代には、ローマ皇帝たちの崇拝の場となり、神殿の内陣には彼らの彫像が飾られていたらしい。

 

ニンパイオン(給水施設)に行く途中にあった建造物の一部。

オリンピア遺跡

 

ニンパイオン(給水施設)跡。かつては、何体もの彫像が壁のくぼみに設置され、シンメトリーの豪華な装飾が施された給水施設だった。大富豪であるイロド・アティコスとその妻レギラによって聖域へ寄贈された。(2世紀建立)

オリンピア遺跡

 

ニンパイオン(給水施設)跡(部分)。設置されていた彫像は、イロド・アティコス、ローマ皇帝アントニヌス・ピウス、ハドリアヌス、マルクス・アウレリアス、と、その家族たち。それらは、オリンピア考古学博物館に展示されている。

オリンピア遺跡

 

上写真のズーム。手前の建造物にはライオンの顔。

オリンピア遺跡

 

ニンパイオンの再現図(展示ボードより)

オリンピア遺跡

 

ニンパイオンの手前に見えるのは、ゼウスの妻ヘラの祭壇跡。

オリンピア遺跡

ここでオリンピック聖火の採光が行われる。この儀式は1936 年 (ベルリン・オリンピック大会)から行われている。

ヘラの祭壇で、聖火が灯される瞬間。(展示ボードの写真より)

オリンピア遺跡

 

そして、ヘラの祭壇の奥には、ヘラ神殿がある。

オリンピア遺跡

 

紀元前7世紀建立の、聖域内で最も古い神殿である。展示ボードの説明によると、古いドーリア式神殿において最高の建築モデルなのだそう。もともと柱は木製だったそうで、時間をかけて徐々に石の柱に置き換えられたそうだ。

オリンピア遺跡

 

この神殿からは、彫刻家プラクシテレス作のヘルメス像が見つかっている。また「聖なる休戦のディスク(円盤)」がここに保管されていた、という伝説もあるらしい。

オリンピア遺跡

 

ヘラ神殿近くにある先史時代の建物跡 (紀元前2150 年~2000年)

オリンピア遺跡

展示ボードの説明によると、この辺りで先史時代の集落の建物がいくつか見つかったそうだ。出土品の中には(クロアチアの)ダルマチア海岸のセティナ文化とのつながりを示す、装飾モチーフが刻まれた壺が数多くあったそうだ。

ペロピオン跡。(ガイドブックによると)オリンピック競技の創始者とされる、英雄ペロプスに捧げられた五角形の建物、とある。

オリンピア遺跡

(調べてみると、上の写真は、ちょうどペロピオンの入り口部分にあたる石群を写したものだった。木の向こう側に見える列柱は、ヘラ神殿のもの)

展示ボードの説明によると、もともと神域の中心にある低い盛土の塚が、英雄ペロプスを祀っていた場所だったが、後世になってから、その盛土の塚の周りに、入り口の門 (南西の角) と五角形の囲いが作られたそうだ。

展示ボードの説明には「まだ見ることのできる塚の頂上は…」と記載がある。上の写真のように、ペロピオンを入り口側から見てしまうとわからないが、ヘラ神殿の方からペロピオン方面を見ると、囲いの一部と、うっすら土が盛り上がっているのがわかるようだ。また、五角形の囲いの下からは、先史時代の古墳跡も見つかったそうである。

フィリペイオン跡

オリンピア遺跡

 

展示ボードの説明によると、この円形の優雅な建物は、フィリッポス2世によって、カイロネイアの戦い (紀元前 338 年)後、寄贈されたものである。建物の内部は、彫刻家レオカレスによる、彼の祖先たちの胸像で飾られていたという。息子のアレキサンダー大王によってこの記念碑は完成した。

オリンピア遺跡

 

オリンピア遺跡

 

上写真のズーム↓

オリンピア遺跡

 

ゼウス神殿跡 (紀元前470年~紀元前457年)

オリンピア遺跡

 

展示ボードの説明によると、このドリス様式の神殿を建てたのは、建築家リボン。神殿には、アテネの彫刻家フィディアスによって作られた、金と象牙の巨大なゼウス像(高さ12m)が安置され、それは古代の世界における、七不思議の1つであった。

ゼウス神殿の東西2つのペディメント(破風)には、神話を描いた大理石の彫刻が飾られており、東側が「ペロプスとオイノマオスの争い」、西側が「ラピテス族とケンタウロスの戦い」だったそうだ。また、ヘラクレスの(12の)功業のレリーフは、神殿内部のメトープを装飾していたそうだ。(いずれも、オリンピア考古学博物館に展示されている)神殿は、522年と551年の地震で倒壊した、とのこと…。

・・・    ・・・    ・・・    ・・・    ・・・

ふーっ!(笑)

さて、ゼウス神殿をゴール(大トリ)としてめぐった、オリンピア遺跡見学はここで無事、終了。一時は暑さにバテてしまい、どうなることかと思ったが、なんとかこの広大な遺跡を周り切ることができた。

オリンピアの神々に感謝!!(笑)

休憩は、考古学博物館の涼しいカフェで、ゆっくり取ろうと思った。

つづく

冒頭写真:2004年のアテネ・オリンピック大会に向けて再建された柱が立つ、ゼウス神殿。

おまけ

オリンピア遺跡内、日陰で休むワンコ。

オリンピア遺跡

※首輪をしていないようだったので、遠くからズームで撮影しました。飼犬か野犬かわからない場合は、近づかないよう、そっとしておきましょう。

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