クノッソス宮殿跡から考古学博物館へ
バスに乗る時には、念のため、目的地を確認するクセをつけている。クノッソス宮殿からバスに乗り、イラクリオンの街中に近づいた頃、なぜだかわからないが、バスの乗客数人がソワソワしだした。そろそろなんじゃないか、というように窓の外を見て、確認し合っている。そして、「ほら、博物館はそこ、そこよ(降りなさい)」とわたしに教えてくれた。
エフハリスト!(ありがとう)
思いがけない親切だった。わたしは、こうして博物館の最寄りのバス停で降りることができた。
自分もできるかな?
もし、逆の立場だったら・・・と思う。
イラクリオン考古学博物館 (上)
イラクリオン旧市街の、大広場でバスを降りると、博物館は歩いてすぐである。大きくて立派なエントランスが迎えてくれる。
以下、” ”内は博物館の展示ボードより引用し和訳したものになります。
展示ボードによると、”クノッソス宮殿の下から・・・新石器時代の遺跡が発掘
され・・・最初は小さな集落だった”が、”紀元前6千年紀以降から成長し続け、紀元前3000年までには、25000平方メートルにまで達したようである。”
ポータブル・オーブン クノッソス 紀元前4500-3000年
粘土焼のカップ クノッソス 紀元前4500-3000年
”骨でできた道具は・・・主に羊と山羊の骨から作られた”そうである。
石斧と骨製のキリ 紀元前4500-3000年
石斧、ハンマー、小さなノミ 中央/東クレタ出土 紀元前5900〜3000年(左)
革などの柔らかい素材を刺すための骨製のキリ クノッソス 紀元前4400〜3000年(中)
機織りの道具 クノッソス出土 紀元前5900〜3000年(右)
”紀元前3千年紀の初めに、人間の住む場所はクレタ島全体に広がり・・・簡単にアクセスできないような山頂にさえ、それは出現した”そうである。”貴重な輸入原材料に直接アクセスできた沿岸集落の多くは・・・発展し、栄えた港に成長した”。
”・・・耕作可能な広大な土地を持つ集落は、広さと人口が増加し、重要な地方都市の中心になった”。
”クノッソスの集落は、ほぼ50000平方メートルの大きさに成長し、初期の都市中心部に発展した”そうである。
双円錐カップ(2段目中央付近)、ふた付きの宝石箱、その他容器
キクラデスの影響を受けたgournesの墓地より出土 紀元前3000〜2600年
”石の「パレット」 おそらく着色顔料の粉砕か、砥石に使用された”そうである。
”ふた付きの小さな箱 おそらく針箱として使用された”そうである。
メサラのアーチ型墳墓より出土、紀元前2600-1900年
個人的に気に入った動物の置物。星の王子様のキツネを思い出した。隣は鳩かな?
奉献の角のモデル(上段中央 茶色)と飲食用の土器
mochlosの墓地より出土 紀元前2600〜1900年
二つの器がつながった儀式用水差し(下段中央)lebena、紀元前2600〜2300年
別々の場所から出土した瓜二つのふた
”ふたは、浮き彫り細工の犬でほぼ同じように装飾されており、出土場所が異なっていても、同じ工房または同じ職人の作品である可能性がある”とのこと。(写真はそのうちの一つです)mochlosとzakros「死者の峡谷」より出土 紀元前2600-2300年
石細工(加工)に関しては、”紀元前3千年紀の中期後、改善された道具によって・・・硬い石で新しい形状を作れるようになった”そうである。
”石の器のほとんどは埋葬群から出土し・・・サイズが小さく、おそらく化粧品の類を入れ、葬祭用に特別に製作されたと考えられている”そうだ。
”金属加工品は、紀元前3千年紀以降から・・・製造され・・・原材料はキクラデス、アッティカ、アナトリアの鉱山から採れたもの”だそうである。”・・・銅、ヒ素、スズの合金を製造して、鋳造しやすくし、実用性と耐食性を持たせた”。
”数百もの短剣の刃が・・・所有者と共に埋葬され・・・(それらは)単に武器や道具であっただけでなく、・・・ 象徴的な品として・・・所有者のアイデンティティ、性別、年齢、家族やコミュニティでの地位を表わしている”そうである。
青銅製の双斧(壁の右上) platanosより出土 紀元前2100-1800年
初期の小さな三角形の形をした青銅製の短剣、短剣とナイフの象牙の柄、青銅製の化粧道具:ミニチュア双斧、ピン、ピンセット、ナイフ(奥の棚)
メサラのアーチ型墳墓とtrapezaの洞窟より出土、紀元前3000〜1800年
長い青銅製の剣、薄刃のかみそり、二股のツール(おそらく魚突きのヤス)(手前の棚)
中央および東クレタの墓より出土 紀元前2600〜1900年
”人の小像はほとんとが墓で発見され・・・非常にまれなケースでは、例えば、妊娠中の女性や座っているもの、そしてキクラデスの島々との密接な関係を示すものなどの、・・・特徴や性質を表している”のだそうで、”多くは不完全で壊れており、破壊と破片の再結合は偶然ではないかもしれず、葬儀の象徴的な行為かもしれない”とのことである。
クレタ島の工房で作られた、キクラデス型、骨製の小像。
archanes phourniより出土 紀元前2300〜2100年
墓から出土した様々な装飾品
昨今、手作りアクセサリーがまた流行っているようで、おしゃれなアクセサリー・パーツ専門店ができ、通っていた時期があったのだが、驚いたことに、そういったアクセサリー・パーツのデザインを、この古代の装飾品の中に発見した。
何千年もの昔の、古代のアクセサリー・パーツを模したものとは露知らず、あれこれ組み合わせを考え、手作りを楽しんでいたとは感慨深いものである。
衣服に縫い付けられていた金の装飾品、冠、マートル(銀梅花/銀盃花)の葉、および付属物付きのチェーン。mochlosの墓より出土 紀元前2600〜1900年
美しさに思わず息をのんだ、カマレス焼のカップたち。紀元前1900-1700年ごろ
お気に入りは見つかりましたか? わたしは中段のヒョウ柄がいい(笑)
どこか懐かしい感じの模様もある。
クノッソス宮殿の模型 こんなものがあったのか、と驚かずにいられない。
牛跳び、または牛狩りを表現した動物型リュトン(上段)人が牛の角を掴んで(牛の顔の所でしがみついて)います。 紀元前2000年〜1800年。
イルカと貝殻の浮彫装飾が施された供物用土器の円筒形スタンド
新宮殿時代初期 フェストス宮殿より出土 紀元前1700年〜1600年
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