◆膨大な展示の中から、個人的に惹かれたものを紹介します。””内は、博物館の説明をざっくり和訳しています。一部、ガラスの反射や暗くて不鮮明な画像があります。ご容赦下さいませ。
ナフプリオン考古学博物館 5
引き続き、デンドラの副葬品を見てみよう。
下写真 ”象牙の象嵌(ぞうがん)細工、デンドラの室墓より出土、紀元前1500年から紀元前1400年”
下写真:左側 ”ガラスのビーズ” 右側 ”黄金の装飾品”、いずれも、デンドラの室墓より出土、紀元前1400年~紀元前1300年
(上写真↑)扇形のものは、パピルスの花。
下写真:”パレオ・エピダウロスの石室墓から発見された遺物、紀元前15世紀~紀元前11世紀”
下写真: 左の数珠と中央の上下 ”ガラスのビーズ” 右側 ”ツタの葉や花をモチーフにしたガラスの装飾品”、いずれも、パレオ・エピダウロスの室墓より出土、紀元前15世紀~紀元前14世紀のもの。
(上写真↑)中央下:また、パピルスの花!
ミケーネの宮殿崩壊後の世界
下写真 ”ミケーネの宮殿崩壊後の遺物、鉄器時代初期、紀元前1050年~紀元前900年”
下写真:中央 ”青銅の兜、ティリンスの墳墓より出土、紀元前1050年~紀元前1025年”
ここから、幾何学様式時代の展示となります。以下、展示ボードの説明です。
英雄的精神
青銅器時代の王国が崩壊し、ミケーネの宮殿が崩壊した後、新たな貴族階級が生まれました。この上流階級の人々は、ホメロスの叙事詩に描かれた英雄的な理想像を操作し、利用することで、自らを定義しました。英雄的精神は、アルゴスの貴族階級の象徴である馬と馬の先導役(馬取:うまとり)のテーマで表現されています。船や踊る女性、動物、鳥の描写は、ホメロスの世界を構成するものでした。
また、貴族同士の絆を深めたり、意見の交換をする重要な場(施設):シンポジウムの起源は、ワインを運搬し、混合し、消費するために作られた容器:アンフォラ、クラテル、オイノコエ、タンカード(大型の飲用容器:大型ジョッキ)、カップ、スキュポス、カンタロス、などの製作にも見出すことができるでしょう。
ナフプリオン考古学博物館、展示ボードより (一部引用し、ざっくり和訳)
例えば、人々の上に立ち、国を1つにまとめ上げなければならない王侯貴族ならば、神話的英雄を、自身の出自に利用しない手はなかっただろう。また、当時のシンポジウム(の原形らしきもの)については、ワインが大いに関係していた、というのも興味深く思った(ちなみに(自分なりにネットで調べたところ)「シンポジウム」という単語は、ギリシャ語由来のものらしい)。
下写真:後ろ左 ”蓋に馬が施されたピュクシス、アシニ(アスィニ)出土、紀元前750年~紀元前735年” 以下、後ろ中央 ”男性と馬が描かれたクラテル” その前と斜め右前の壺2つ ”戦士と馬が描かれたカンタロス” いずれも、ティリンスの室墓より出土、紀元前730年~紀元前690年のもの。
(上写真↑)展示ボードで触れていた「アルゴスの貴族階級の象徴である(英雄的精神を表わす)馬と馬の先導役」の図柄が興味深い。解釈によっては、向かい合った2頭の馬の中央に立つ男性は、陰陽の中心、バランスをとる者、という意味深な見方もできそうである。
下写真:後ろの列、左から ”鳥が描かれたカンタロス、アシニ(アスィニ)の室墓より出土” ”鳥が描かれたクラテル、アシニ(アスィニ)のアクロポリスより出土 ” ”ピュクシス、アシニ(アスィニ)のアクロポリスより出土” いずれも、紀元前730年~紀元前690年のもの。
上写真、ピュクシスの拡大↓
(上写真↑)蓋の中央に4羽の鳥が描かれている。蓋のふちの模様も、鳥なのだろうか、気が遠くなるほど、細かく、数が多い。余白を埋め尽くすような勢いの、数々の模様に圧倒される!
幾何学様式期の「死」
幾何学様式期の「死」について、展示ボードの説明を引用します。
幾何学様式期の死
鉄器時代初期における政治、社会、経済構造の変化は、埋葬習慣にも見いだすことができます。…
石棺や竪穴、陶器の壺:主にピトス(甕:かめ)、への埋葬が、アルゴリス全体における埋葬の習慣でした。副葬品に含まれていたのは、典型的なものとして、青銅や鉄の宝飾品、武器がありましたが、最も重要なのは、飲食に関連する器:アンフォラ、クラテル、オイノコエ、タンカード(大型の飲用容器:大型ジョッキ)、カップでした。
多くの墓で発見された粘土製のザクロは、豊穣と永遠の命を象徴しています。また、時として、大きな壺は高位の人物の墓標として、墓の上に建てられることもありました。
ナフプリオン考古学博物館、展示ボードより (一部引用し、ざっくり和訳)
下写真:手前中央 ”ザクロ、ネア エピダウロス出土、紀元前750年~紀元前690年” ザクロの斜め左後ろ ”アンフォラ、ティリンスの墳墓より出土、紀元前800年~紀元前750年” ザクロの斜め右後ろ ”瓶型の容器、ティリンスの箱式石棺墓より出土、紀元前730年~紀元前690年” 右奥の隅 ”アンフォラ、ティリンスの甕棺墓(かめかんぼ) 紀元前750年~紀元前730年”
(上写真↑)右奥の隅:甕棺墓(かめかんぼ)の壺の口の狭さが気になった。
奉納盾
こちらは、おそらく、戦勝祈願成就の御礼などとして、神に捧げられたのだろう。
下写真:”テラコッタ製の奉納盾、直径40cm、城塞の上層部「Bothros:ボスロス?」より出土、ティリンス、紀元前7世紀初頭”
(上写真↑)ティリンス遺跡のパンフレットによると、Bothros(ボスロス?)とは、城塞の高層建築部の遺構の1つを指すそうだ。戦士の鎧兜の幾何学模様や、右上の鳥が口から炎?のような物を吐いている様子が興味深い(想像だが、この鳥は、中央の戦士を助けるために、右側の戦士の槍の上にとまって槍攻撃を阻止し、なおかつ、口から何かを出して、右側の戦士を攻撃しているようにも見える。だから、両側の戦士は驚いた顔をして、一瞬、立ちすくむような姿で描かれているのだろうか…?)。
ティリンス遺跡の模型
(上写真↑)復元されたティリンス遺跡の全体像を把握できる(残念ながら、城塞内の各部屋/施設を明示する表記は見あたらず)。
冒頭写真:テラコッタ製の奉納盾(部分)、ナフプリオン考古学博物館