北門へ
地下貯水場跡を見学した後は、北側の城壁に沿った小道を通り、獅子門方面へ戻る。
ここでも岩の迫力!
しばらく進むと、右側に一段下の小道が現れる。
(上写真のズーム↓) 階段を下っていく見学者たち。
わたしは、下の小道が気になりつつも、このまま道を進み続けた。
(下写真↓)何らかの建物跡
しばらくすると、行く手に金網のシースルー板の傾斜路が現れ、気になっていた一段下の小道へ合流することができた。そして、獅子門方面とは逆に、Uターンして進むと…
北門が現れたのだった!
地下貯水場から北門へは、階段を下る最短ルートがあったらしいが、どうやら、わたしは、城壁の一本内側の道を歩いていたようだった。しかしながら、どちらの道も、北門にはたどり着けるので問題はない。
展示ボードによると、北門の建築は、サイクロプス式石積の城壁建築の第2期 (紀元前1250年頃) にあたるようだ。2つのわき柱(門の両脇を支える垂直材)と鴨居、敷居は一枚岩の礫岩(れきがん) 製。門は両開きの木製の扉で閉められ、スライドバーによってボルトで固定されていたとのこと。鴨居上部の端には、2つのスラブが設置され、重量が2つのわき柱に分散されていたそうだ。また、門の内側には小さな中庭があり、そこからメガロンまで道が続いていたそうである。獅子門を含む、これら2つの大きな門が特別な配慮をもって建てられたことは、ミケーネの熟練した技量を証明している、とのこと。
(上写真のズーム↓) 古代と同様、木製の扉がはめられていた。
北門の外側から撮影してみた。獅子門と比べてしまうと小規模だが、しかし、こうして見上げると、せまる石壁の迫力も加わり、堂々たるもの。
3000年以上経った今でも、この風格。当時は、どんなにすばらしかったことだろう!
このまま北門を出て歩いて行けば、いずれ農道に出るのだろう。周りは、のどかなギリシャの風景である。
周りには誰もいなくなり、すっかり貸切状態になっていた。わたしは、ゆっくり北門を堪能した後、獅子門方面へ歩き出した。
円形墳墓Aへ
しばらくすると小道から、獅子門の左手に広がる建物跡が見えてくる。
ミケーネの美しい景色
西側の斜面にたどり着き、再び、涼風が吹き出した。往きと同様、斜面には、石ころに腰掛け、休憩する人々があちこちにいる。金網のシースルーの板を渡り、道なりに下るも、今回は、獅子門から伸びる古代の石畳の道には戻らず、一段下の別の小道から円形墳墓Aへ向かう。そして…
うわっ!
サイクロプス式石積の擁壁(ようへき)!(左下の人と大きさを比べてください!)
こ、こわっ!!(なんという迫力!!)
今にも岩が落ちてきそうに見える擁壁(ようへき)! この迫力の擁壁で支えられた石畳の坂道を、たしか、わたしは景色を楽しみながら、のんきに上っていなかったか…。そんなことを思い出しながら、高々とそびえる石積みに目を奪われながらも、このスリル満点の小道をどうにか、通り抜けたのだった。
冒頭写真:ミケーネ遺跡、北門跡