トリポリからナフプリオンへ
トリポリのバスからは、オリンピアのクロニオ・ホテルのご主人が、前日の夜に、バスのチケットを予約してくれたおかげで、一番前の特等席に座ることができた。日本で言う、観光バス並みの、がっちりした車体にはめ込まれた大きなフロントガラスから見る景色に、わたしの心は浮き立った。
1時間半後には、目的地のナフプリオンに着く。車窓から景色を楽しんでいる間に、バスがわたしを運んでくれるのだ。
なんて、楽ちんなんだろう!
バスは順調に走っていたが、トリポリを出発してから間もなくして、急に減速した。ノロノロ運転が続き、どうしたのだろう、と前方を見ると…
あ!(笑)
トラクターだ!
確かに、いくつもの畑をバスは走り抜けてきたのだった。
迫力のルート
さて、この「トリポリーナフプリオン間」の陸路は、結論から言うと、今までの、どの陸路よりも桁違いの迫力があった。
日本を発つ前に、ネットで「この経路は(数年前に)落石で通行止めになっている」という、一般人による投稿を目にしていたのだが、実際に、この経路をバスで走行してみると「確かに(落石があってもおかしくない)」と、思うような道であった。
映画のワンシーン?!
山の高さ、谷の深さに感嘆し、その雄大さ、迫力に、息を呑む。車窓の景色に釘付けになっていると、バスは急にスピードを落とした。
あれ? 停車するの?
山と谷しかない、周りには何もない場所で、なぜか、バスは停車の体勢に入った。
なにごと?
…と、驚いて窓の外を見ると、なんと、どこから現れたのか、人が立っていた。
え? こんな山奥に…
ヒト?!
このような寂しい場所に、人がポツンと立っているだけでも驚いたが、よく見ると、それは若い女性であった。
えぇぇっ!
わたしは、頭が混乱した。
こんな山奥に、なぜ、若い女性が…?
しかし、すぐに合点がいった。彼女はバスを待っていたのだった。しかしながら、どうやってこの場所まで来たのだろう?と思っていると、バスに歩み寄る彼女の後方に、高齢の男性が立っているのが見えた。その男性の後ろには、年季の入った軽トラックが停まっている。
そうか、父娘なのか…
旅立って行く娘さんに、手を振るでも歩み寄るでもなく、ただじっと、後方から動かずに、見つめるだけの父親の姿が、山と谷の大自然の風景と重なり、何か映画のワンシーンを見ているような、そんな気持ちになった。
それにしても…、彼女が乗ってきた場所に目を凝らしてみたが、日本のバス停のような目印は何もなかった。おそらく、ここは地元民にしかわからないバスの停留所なのだろう(目印も何もないバス停が、ギリシャにはあるのです)。
過酷な道
バスは、岩壁と断崖のすき間を走る。山すそに沿って走っているので、くねくねと曲線の道が続く。わたしは、断崖側の席に座っていたので、谷から広がる景色を写真に撮ることができた。
しかし、ついに、その景色も、黄色い岩がゴツゴツと出てきて、遮られてしまうのだった。もろくて崩れそうな岩壁で、いつ落石が起きても不思議ではなく、わたしは息を呑んで岩壁を見つめた。
そうかと思うと、前方の道が、急に消えていて、ギョッとなった。…これは、種明かしをすると、上り坂の向こう側が、急な下り坂になっているので、道が途中でなくなっているように見えたのである(ジェットコースタ―の、急降下前の線路みたいな感じ)。
ひぇ、こんな道を、この大型バスは走るのか…
…と思っていると、一息つく間もなく、前方の見えない急カーブが現れたりして、だんだんすごいことになってきた。
地面が見えないようなカーブ!
ここに来て、ようやく、このルートを担当するバスの運転手さんの技術のすごさに、わたしは気づいた。一瞬たりとも気を抜けないのだ。
そして、わたしが、ほんの少し窓の景色からよそ見している間に、バスはさらに険しい道へ突入していたのだろう。再び、車窓の景色に視線を戻した時、バスはグラッと揺れたかと思うと、景色がものすごい速さで回転し出した。
うわぁーーーーーーーー!
わたしは、何が起きたのかわからず、実際に悲鳴はあげなかったものの、体が恐怖で動かなくなった。しかしながら、ゆいいつ目だけは、本能的に、何が起きたのか事態を把握しようと懸命に動いていたようだったが、回転する窓の景色に、却って三半規管をやられ、頭がクラクラする始末だった。
次の瞬間、ようやく景色の急回転が止まり、やっとのこと、体勢を整え、周りを見渡すと、バスが、日光いろは坂も真っ青な、ものすごい断崖のカーブを走り出したことがわかった。
え、ええぇっ?!
じ、地面が見えないカーブって…このこと?!
ガイドブックには、スリル満点のカーブは「オリンピアートリポリ間」と書いてあったはず。
まさか、この「トリポリーナフプリオン間」で不意打ちを喰らうとは!
…と思うも、再び、急カーブに突入!
うわぁーーーーーーーー!
わたしは、フロントガラスの大画面と側面の窓から、二重のスリルを味わうことになった。カーブを曲がり切れず、崖からそのまま飛び出してしまうのでは?!の連続だった。
あまりにも突然で、最初の衝撃は尋常ではなかったものの、次第に周りを客観的に観察できるようになり…
よし、鳥になったつもりで、大空を急旋回!
…と、崖から飛び出した視線のはるか下、遠い下界の景色を眺めながら「大丈夫!大丈夫!」「怖くない!」「すごいぞー!」と思った。
大型バスの高い座席に座っていたので、余計に迫力を感じたのだろうし、また、大変、見晴らしの良い山道で、視界を遮るものは何一つなく、天気も良かったので、迫りくる下界がよりクリアに感じられたのだろう。
非日常的な光景に釘付けとなり、恐怖を感じながらも、恍惚とした状態で景色に見入っていたわたしは、急に、ハッと我に返った。
わたしたち、乗客、全員の命は…
運転手さんにかかっているんだ!
急に、こういったフレーズが頭の中に降ってきた。そう思うと、急に、ハラハラして気が気でなくなってきた。
ああ、どうか、無事にナフプリオンに着きますように!
難関突破!
ふとした拍子に、わたしは、フロントガラスにお守りの小さな十字架が下げられているのに気づいた。きっと、運転手さんの、ご家族からのものなのだろう。
あぁ、どうか、無事に、着きますように!
わたしは、心の中で、真剣に、そのお守りに祈らせてもらった。
地面が見えないカーブを何回か曲がった後、突然、通路を挟んで反対側(左側)の窓から、はるか遠くの眼下に、青い青い海がチラッと見えた。ハッと驚くような海の青さに、不意を突かれたが、それは同時に、この断崖走行も終わりが近いことを示していた。実際に、バスはカーブを繰り返しながらも、徐々に下界へと降りて行ったのだった(ようやく、写真を撮る余裕も出てきた)。
下写真:かなり下降し、海がだいぶ近くに見えるようになったところ。
下写真:海が近くなり、ホッ!と油断したところで、新たなカーブ出現! 崖から飛び出した目線の下には、これから走る一段下の道路が見えた! 目が回る~!!
下降する際に見た、山の緑や、畑のパッチワーク模様、木々の丸いドット模様が美しかった。これで、かなりの高所を走り抜けて来たのだ、と実感する。
ぐんぐん近づいてくる海。
そして、最後の方のヘアピンカーブ。
そしてバスは、とうとう下界にたどり着き、畑の中のまっすぐな道を、海に向かって走り出した。
ホーーーー!
走り切ったー! ブラボー!
心の中で、雄叫びをあげる(笑)。
いやあ、すごかったー!! 信じられない!!
興奮冷めやらぬ中、バスは、海に出たところを左折すると、ナフプリオンに向けて、海沿いの道を、まるで何事もなかったかのように、普通に走り出した。
冒頭写真:「ナフプリオン行」バスからの風景(トリポリーナフプリオン間)