行きはよいよい、帰りは怖い
体力的には「全くの余裕!」のパラミディの城跡への階段だったが、頂上が近くなるにつれ、石壁(手すり壁)があったりなかったりで、思わぬ落とし穴(高所恐怖症との戦い)が待っていた。写真を撮る余裕もなくなり、ひたすら、自分の足元だけを見つめ、決して断崖を見ないように、上り続けた。
下写真:頂上付近の階段には、手すり壁が付いていた。
下写真:パラミディの城跡の入口
城跡の入口付近には、スペースが確保され、石壁(手すり壁)もあり、絶景を楽しむ余裕も出てきて、すばらしい写真が撮れた(冒頭写真をご覧ください)。ここで、一息つき、リラックスできたものの、なんと「城跡の見学時間がほとんど残っていない」ことに気づいた。ここまで上がってくるのに、時間がかかり過ぎたのだ。少し残念に思ったが、上空からの美しい景色を見ることができて、満足していたわたしは、地上へ戻ることにした。
しかしながら、城跡の見学を、あっさりあきらめることができたのは、実は、それよりも、帰りが心配だったからである。恐ろしい断崖の階段ゆえ、帰りはさらに下りるのに時間がかかるだろうし、また、視力が悪く、鳥目でもあるわたしは、暗くなる前に、なんとしてでも階段を下り切る必要があった。もし、暗くなってしまったら、階段は下りれなくなってしまう。
ここで、野宿はしたくない!
グズグズしてはいられなかった。
ピーンチ!
何でもない階段のはずが、休み休みとなり、どっと冷や汗が噴き出してくる。わずかに広い、踊り場もどきのスペースで息を整えることもできたが、迫りくる高所の圧迫感で、かえって胸が締め付けられるような思いだった。
行きに見た「豆粒ほどの家々、はるか下のキラキラ光る青い海…」も、手すり壁のない場所では、平衡感覚を失い、目が回って、そのまま落下しそうな気分になったが、「上り」と「下り」では、圧倒的に「下り」の方が不利だった。
また、手すり壁は、途中でとんでもない低さになり、膝か膝下くらいになる場所もあった。こんな壁、倒れたら、やすやすと断崖へ真っ逆さまではないか!?(parapet、パラペットという類の壁らしいが)この低さ、一体、何の意味があるのだろう?、と思うも、考えても仕方のないことだった。(お腹くらいまでの高い壁もないわけではないが、ところどころにしかない)。
そうこうするうちに、わたしの脳裏に、子供の頃に家族旅行で行った「久能山東照宮」での出来事が、とつぜん浮かんできた。階段の踊り場で休憩していた女性が、急に失神して倒れてしまったのだ。幸いなことに、彼女はすぐに回復したのだが、その場面が、今の自分に重なってくるような気がしてきたのだった。
このまま、失神してしまったら…?
そうなったら、もう、おしまい!! 崖下へ真っ逆さま!!
わたしは、岩や草につかまり、何とか体を支えた。誰に見られようが、気にしている場合ではなかった。
階段を上がる前は「本当に999段あるのか、数えてみよう!」などと、のんきに思っていたが、上りも下りも、まったく、それどころではなかった!!
今、わたしに必要なもの…?
すでに、目は回り始めていたが「落ち着け~、落ち着け~」と呪文を唱えながら、決して断崖の方向を見ないように、階段だけに集中しようとしていた。同じ階段なのに、ビルの非常階段なら、手すりにつかまらずとも下りれるのに、環境が変わって「断崖」になったとたん、何かにつかまらなくては、目が回って階段を下りれなくなるなんて…! こんなにも簡単に、人は環境に影響され、ストレスを受けてしまうのか…!?
とにかく、つかまれるものは、なんでも利用して、視線を階段に集中するうちに、わたしは、急に、馬の目隠しのことを思い出した。正しくは、ブリンカー(遮眼革=しゃがんかく)と言うそうだが、馬の視野を制限することにより、余計なものを視界から排除し、馬が走りに専念できるようにするものだが、今、わたしに必要なのは、それこそ、このブリンカーではないのか?!と、思った。
迫りくる断崖や、目の回る崖下の海、豆粒の家々を、ブリンカーで消してしまいたかった。
衝撃!
後から来た白人の人々は、どんどん、わたしを追い抜いていった。「ごぼう抜き」である。彼らはリラックスし、トントントンと階段を下りていく。その軽い足取りは、地上にいる時と何ら変わりがない。つまづいただけで、崖下へ落下する可能性があったが、中には、小さな子供を肩車して(!)、手すり壁のない場所を(!)、おしゃべりしながら(!)下りて行く男性もいた。
えっ? ウソでしょ?!
頭を殴られるような衝撃だった。しかし、外国の子供たちは、こうやって鍛えられるのだろうか…などと思ったりした。肩車されている子供は、周囲にいる誰よりも高い視点から、目の回る、吸い込まれそうな海を見ているはずである。ただただ、驚くばかりであった。
絶体絶命!
そして、ついに、このギリシャ旅、最大のピンチが訪れた。両側、何もつかまるものが、なくなった。手離しで、1メートル半くらいの幅のある、急な階段を下りなければならない。階段に集中しようと試みたが、めまいがしてきて、体がゆらゆらしてきた。
ダメだ! 降参!!
今まで必死に耐えてきたが、キャパを越えたのがわかった。このまま強行して進んだら、間違いなく、めまいで倒れ、崖下に落ちていくのがわかった。どうしようもない。
わたしは、クラクラしながらも、ゆっくり低姿勢になり、とにかく地面に腰を下ろすことにした。とりあえず、地面に腰を下ろせば、倒れることはない。
そして、わたしは(恥ずかしながら)このまま足と尻を使って、しゃくとり虫のように階段を下りていこう、と思った。ジーンズのお尻に穴が開いてしまうかもしれない、と思ったが、どうってことない、「旅の恥はかき捨て」と言うではないか…。
救世主あらわる!
わたしは、崖の階段を、泣きながらお尻で下りていく自分の姿が見えていたし、人々に白い目で見られることもわかっていた。
しかしながら!!
そんなことは起きなかったのである!
もう、ダメだ! 降参!!
と、動けなくなり、その場にしゃがみこもうとした時…
不思議にも、周囲の人々の意識が、パッと自分に向けられたのがわかった。
オゥ!
…と、人々の声が上がり、彼らに見守られる中、一人のおじさまが「大丈夫か?」と声をかけてくれ「つかまりなさい」と、手を差し伸べてくれたのだった。
真っ赤なシャツを着た、白髪のおじさまだった。
そして、手をつなぐと…
ステップ、バーイ、ステーップ…
ワン、バーイ、ワーン…
と、わたしを安心させるように、ゆっくりと大きな声で「一歩ずつね~、一段ずつだよ~」と、声をかけてくれるのだった。
わたしは、おじさまの手にしっかりと支えられ、さっきまでの恐怖が、だんだんと色あせていくのを感じた。こうして、無事、わたしが歩き出したのを見届けると、周囲の人々も、自分のペースで歩き出すのだった。
そして、おじさまの声と階段に集中した結果、わたしは、なんと、あの難関を突破することができたのだった!
もう、安全、大丈夫!という所で、お礼を述べると、おじさまはニッコリ笑って、トントントンと軽快に崖の階段を下りていった。わたしは、まるで一連の出来事が、夢だったかのような感覚になり、極度の緊張から解放されたのもあったのだろう、ボーっと彼の後ろ姿を見つめることしかできなかった。
わたしの予想とはまったく違う、人の温かさ・優しさに触れた展開となり、しばらくの間、わたしは一人、微笑みが止まらなくなった。
🐱💕
心がほぐれ「一人ぼっちじゃないんだな…」と思う。たとえ、見知らぬ土地の、見知らぬ人々の中に、一人でいたとしても。
…しかしながら、さすがに一人で、ニコニコしながら階段を下りるのも…と思い、最後まで気を抜かぬよう、気を引き締め、足元を注意深く見て、下ることにした。
無事、下山
最大の難所を越えると、岩などにつかまれるようになり、また、だんだんと地上が近づいてきたせいもあり、怖さはなくなって、無事、下山することができた。
ホッ!
そして、再び、城跡のふもとにある小さなカフェを通り過ぎようとしたところ、何気なく向けた視線の先に、なんと(!)、真っ赤なシャツを着たおじさまの姿があった。旅仲間と一緒に、テーブルを囲んで談笑している。
わたしは、思わず、道をかけよって「先ほどは、どうも!!」と、声をかけてしまったのだが、おじさまには届かなかった。仲間と楽しそうに旅の話をしているおじさまへ、わたしは心の中でお礼を言い、そっとカフェを離れた。
冒頭写真:パラミディの城跡の入口付近からの風景