ひとり旅日記 ギリシャ

女ひとり旅日記 ミコノス島 最後の夜・誤解 ギリシャの旅5

ブーゲンビリアのレストラン

デロス島から帰ってきてホテルで休憩後、ミコノスタウンを散歩し、どこかで夕食をとろうと思った。今日が最後のミコノスとなる。

何度も行き来するうちに迷路のようなこの町も、ホテル周辺ならばある程度わかるようになってきた。

地図などは広げないで足の向くまま、でも通りや店の特徴はしっかり頭に叩き込んで歩く。この町は夜も美しい。

いくつかレストランを通り過ぎたが、おしゃれな屋外席のレストランが目に留まった。ブーゲンビリアの花が美しく垂れ下がり、花弁がこぼれている。

ここにしよう。

何となくレストランに来たものの、どうしたものかと思った。実はお腹は空いていない。この雰囲気を味わいたかったのだ。少し豪華なサラダを頼んでみた。

にぎやかな笑い声がする。見てみると、店主がビジネスマン風の中国人たちのテーブルで片言の中国語を駆使し、ジョークを飛ばしているのか大盛り上がりだった。

わたしは感心してしばらく見ていた。お酒も多少入っているのだろうが、中国人たちは笑っている。ギリシャ人はもはや英語だけではない。今や中国語なのだ。

宝石商だったおじさん

 

店主が注文を取りに来た際、どこから来たかを尋ねるので、日本だと答えた。彼の後ろ姿を何気なく見ていると、奥にいたおじさんに何か話しかけ厨房に消えた。すると店主に話しかけられたおじさんがニコニコしながら席に来た。店主とは子供の頃からの知り合いであると言う。おじさんは少し日本語が話せ英語も話した。

わたしは興味がわき少しギリシャ語を暗記していたので、ギリシャ語の単語をいくつか交えて話してみるとそのうちの一つにおじさんは目を丸くした。「日本人はこの単語の発音ができるのか!イギリス人は発音できない。何度練習しても彼らには発音できないんだよ。日本語とギリシャ語は発音が似ているんだな」と言う。

昔は宝石商を営んでおり、日本人がよく店にやって来たと言う。当時おじさんは日本語を発音が似ているギリシャ語と関連付けて覚えたらしい。しかしそれは昔の話で、その後は中国人がやって来るようになったと言う。わたしはどんな中国語を覚えたのかおじさんに尋ねたが、「中国人客に中国語を話しても反応は薄いんだ」と渋い顔をしただけだった。

そこでわたしはギリシャ語と日本語の同音異義語があった事を思い出した。「タベルナ、バカヤロー、ネロ!」=「ギリシャ料理店、タラ、水!」という意味になるらしい。(ギリシャ在住の日本人ブロガー、レモンさんの「日刊ギリシャ檸檬の森 古代都市を行くタイムトラベラー」で紹介されている)この話をするとおじさんは目を丸くした。

それから旅の話になり、クレタ島に行くというと、おじさんはクレタ島のハニア出身でハニアに帰りたいなぁ…と目を細めた。

クレタ島民は第二次世界大戦中、ドイツ軍占領下のギリシャで唯一ドイツにゲリラ戦をしかけ抵抗した、勇敢な民として知られている。全ギリシャ人から一目置かれた存在だ。

クレタ島の人々は勇敢だったそうですね、とふるとそれは昔のことだよとおじさんはつぶやいた。

しばらくして話も一段落し、そろそろ帰るころだと思った。

誤解!

わたしは困惑した。自分のサラダはとっくに食べ終わっていた。おじさんは目の前でリゾットをフーフー冷ましながら食べている。

話は変な方向に向かっていた。おじさんはあるヨーロッパ人から聞いた話だが・・・と前置きをして話し出した。日本のビジネスマンの話だ。

『商談がまとまり最後にみんなで食事をしていた席でのこと。花売り娘がテーブルにやって来た時、日本人ビジネスマンが花売り娘から花を買い、その場で取引先の女性社員(ヨーロッパ人)にその花をプレゼントした』

おじさんは「どうだ?」という顔をしてわたしの顔を見た。いい話だとわたしは思ったがそうではないらしい。明らかにおじさんの態度は冷ややかな軽蔑に変わっていた。その場に居合わせたヨーロッパ人全員が日本人にあきれたという話らしい。

おじさんの態度や話しぶりは、わたしを大変困惑させた。意味が分からない。おじさんは口をへの字に曲げ首を横に振る。まるで日本人はどうしようもないヤツだ、と言わんばかりに。

 

ヨーロッパでは男性が女性に花をプレゼントするという行為は、日本人が考えるよりはるかに深い意味を持つのだろうか?

日本人ならば、その人優しい人だね、といい話で終わるのだが、欧米では男性が女性へ花をプレゼントすること自体、特別なアプローチおよび特別な関係を意味するのかもしれない。それをビジネス商談の食事の席で、みんなの目の前で彼はやってしまったというわけだ。(多分)

後から考えれば(多分)そうなのだと思える。今ならばある程度、少なくとも日本人の行為は単なる優しさからであって、それ以上の深い意味はみじんもないのだということを言えたかもしれない。

その当時のわたしは話の趣旨を理解するのに相当時間を要してしまい、切り返せなかったのである。おじさんは永遠にこの真相を知らない・・・。

ミコノス島は明日でお別れ

その後、ホテルまで送るとのおじさんの申し出を丁重に辞退し、レストランを出たわたしは何とかホテルに帰り明日の準備をして床についた。

途中クラブの人ごみを通り抜け、ランプに照らされた白い小道を歩き、ブーゲンビリアの花を見上げながら、あっという間に過ぎたミコノス島の日々を思った。

つづく

 

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