駐車場からの遺跡見学
実を言うと、コリントス遺跡の見学は、入場する前からすでに始まっていた。というのも、遺跡群にぐるっと囲まれた駐車場の柵越しに、グラウケの泉、アポロン神殿、古代劇場、オデオンを見ることができるからだ。中でも、オデオンや古代劇場跡は駐車場(および、駐車場周辺の道路)からしか見れないので、注意が必要だ。
ローマ時代のオデオン(音楽堂)
この写真は駐車場から撮っている。しかしながら、真横からオデオンを見ているので、扇形の客席がわずかに見える程度でわかりにくい(草も伸びていて見えにくい)が…
…駐車場を抜けて遺跡前の道路(ちょうど下写真の青い円辺り)に移動すれば、真正面からオデオンを見学でき、背景にはアクロ・コリントス山もそびえているはずで(残念ながら、旅行当時は気づかなかったが)すばらしい写真が撮れると思う。
写真を2枚つなげてみました。
グラウケの泉
さて、いよいよ遺跡入場である。最初に目に入ったのは、奇妙な石の建造物。
さっそく展示ボードを見てみよう。
グラウケの泉
グラウケの泉(立方体の形をした巨大な石灰岩の塊)は、元々は、神殿の丘から西に伸びる、石灰岩の長い尾根の中にあったもので、周囲の岩盤が切り出された時に形作られました。
西暦150年頃、コリントスの訪問を書き記したパウサニアスによると、この泉の名前は、コリントス王クレオンの娘であり、英雄イアソンの2番目の妻であったグラウケに由来します。イアソンの最初の妻であるメディアは、嫉妬のあまりグラウケに毒を塗った花嫁衣裳を贈りました。グラウケはその花嫁衣裳を身に着けた後、火だるまになり、泉に身を投げましたが、助かりませんでした。
ピレーネの泉と同様に、グラウケの泉も4つの大きな貯水池と、その前面に配置された3つの汲み池とファサードで構成されています。このファサードは現在では大部分が消失していますが、汲み池の前面を形成するパラペット(低い手すり壁)が差し込まれた切り込み跡は、今でも残っています。
階段の中央に深く刻まれた切り込みは、貯水池を掘る際に生じた石を取り除くためのもので、泉が稼働し始めた際に埋め戻されたと考えられています。グラウケの泉の真北、階段の下には、タイルが敷かれたローマ時代の小さな中庭がありました。
コリントスの他の泉とは異なり、グラウケの泉は自然の泉ではなく、南方のどこかの水源から水道管を引いて水が供給されています。この事実と他のいくつかの点から、この泉は、当初考えられていたアルカイック期のものではなく、ヘレニズム期に属する可能性が示唆されています。
展示ボードより 一部引用し、ざっくり和訳
石を積み上げた建物でないからか、どこか奇妙さが漂う建物。
壁には削られた跡が残っている。
階段を中央で分断している切り込み跡。
グラウケの泉の正面。階段は、もうちょっと手前に長かったのだろうか?
近づいて見たいけれど、ロープで制限されている。
別アングルから。
高くそびえるアクロ・コリントス山を背景に。
さらに別アングルから。
松ぼっくりがたくさん落ちていた。
つづく
冒頭写真:グラウケの泉、コリントス