オリンピア遺跡見学 3
ネロの家へ向かう途中、強烈な暑さにダウンしてしまったが、すぐに休憩をとり、体調は回復した。
さあ、遺跡見学、後半スタート!!
ほどなくして、ネロの家へ到着。
よくここまで残っていたと思うが、内覧はできず。
ローマ皇帝、ネロと言えば、67年のオリンピック祭の戦車競走に参加した際、戦車から投げ出され、最後までレースを終えることができなかったにもかかわらず、勝利を宣言してしまった、という話が残っている。
こうしたネロ皇帝の暴君ぶりを物語る逸話は、二千年近く経った今でも、数多く残っているが、近年の研究では、それらの多くが創作であった可能性が高く、また、彼自身も暴君どころか名君であった、という説が有力になってきている。また、当時の庶民による落書きの跡からは、広く人気があった皇帝だったこともわかってきているそうだ。
気の遠くなるような、長い時を経ての汚名返上…それを思うと、何ともやり切れない気持ちになってしまう。
さて、ネロの家を見学した後は、反響廊に沿って北上し、スタジアムへ。残念ながら、紀元前4世紀に建てられた反響廊跡はベースの石しか残っていない。名前が示す通り、その柱廊では音が7回(もしくは7回以上)反響したという。そして…
おぉ、ついに見えてきた!!
スタジアムの入口だ!
わー!
わー!
ワアァァー!!(歓声MAX!)
じゃーん!!
横一列に並ぶ白い石は、スタートライン。
パノラマ写真(写真を3枚つなげてみました)
スタジアムの南側。審査員席の石積。
審査員席の真向かい(スタジアムの北側)にある祭壇
展示ボードの説明によると、紀元前5世紀半ばに造られたスタジアムが、現在の位置に移されたのは、紀元前350年頃のことだそうだ。トラックをぐるりと囲む観客席には(南側の審査員席を除いて)石の座席はなかったとのこと。スタジアムの収容人数は、45000人ぐらいだったと推定されている。 スタジアムの入り口部分は、ヘレニズム時代後期に造られたそうだ。
とっても気持ちの良い場所!!
青々とした草地の傾斜にぐるっと囲まれ、遠くには美しい山。小鳥のさえずりが途切れることなく、青い空がどこまでも続く。グラウンドには一点の影もない。あるのは、人間たちの影のみ。正々堂々とした美しい場所であり、気持ちが澄み渡っていく気がした。
それから、ふと、全体を上から見てみたくなり、緑の斜面を登ってみた。グラウンドを歩く人々が 小さく見える。
いつまでもここにいたい(こう暑くなければ!)、そう思うような場所だった。
冒頭写真:北側の斜面から眺めたスタジアム