ロードス島 2日目の朝
今日はロードス島2日目。
な、なんと雨!! ☂ びっくりしたぁ・・・
空は暗い。昨日は、あんなに肌を焼くような太陽だったのに。
わーん! 昨日がリンドスでよかったぁーー!
さて、気分を一新し、ホテルの朝食を頂く。
最後のしめは、コーヒー。ごちそうさまでした。
雨の旧市街
バスターミナルから数分のホテル・エルメスからは、慣れれば10分かからず旧市街へ行くことができる。バスターミナルまで行ったら、タクシーのりばやインフォメーション方向へ左に行き、海沿いに出たら右へ行く。すると、りっぱな城壁が現れる。その城壁の門から旧市街へ入るのだ。
肌寒い日で、パーカーが役に立つ。
実際に歩くと、大した雨ではなかった。そのうち止むかもしれない・・・と思わせるような雨。
旧市街は、石造りの落ち着いた街並みであり、小雨で石畳がしっとり濡れているのも、なかなか趣があっていい。
昨日は、真夏の太陽に青い海、白い町の鮮やかなリンドスだったが、今日は、しっとりと雨に濡れた中世の街並み・・・
ほぉー・・・
このギャップが、なかなかおもしろい。
古びた城壁に垂れ下がる、ブーゲンビリアの花やツタ。そして、道や広場に敷き詰められた玉砂利。リンドスよりも大きな石を使っており、それが広範囲に及んでいる。
広場に大きな建物があり、それが今日の目玉の一つ、考古学博物館だった。
考古学博物館
ついに、ロードス島の考古学博物館に来た!!
ヴィーナスの像が有名だそうだが、わたしは、たまたまネットで見かけた、あるレリーフに惹かれてはるばる来たようなものだった。実物がこの博物館のどこかにある・・・と思うと、妙に落ち着かず、ドキドキした。
それにしても、博物館に来て驚くのは、建物が立派なこと。
元は、貴族の館? それともお城・・・?
と、思ってしまうが、15世紀に騎士団によって建てられた病院だった、というのが意外なところ。
へぇー! りっぱな病院だったのねぇ…
入り口も立派なもので、そこでチケットを購入し中に入った。
すぐ中庭があり、石の大砲の玉がきれいに積まれている。
さらに、奥まったところ、中央に、石のライオンが鎮座している。
中庭のまわりには趣のある美しい柱廊がある。
こうした歴史ある建物が博物館になったおかげで、見学の楽しみは倍増する。
館内は出土品であふれかえっており、柱廊の長い通路にも、出土品がずらーっと並んでいた。
いくつか見てみよう。
レリーフなど
以下、「””」内は、館内の展示ボードより 一部引用し、和訳しています。
狩猟シーンを描いた浮彫石版。 ロードスシティのローマ時代のテトラピュロンの発掘で発見されました。 描かれているのは、槍でネコ科の動物を攻撃している馬上の人物です。 こん棒を持って攻撃に加わろうとしている2番目の人物が、右はじに認められます。 2本の木と枝に留まった鳥が風景に描かれています。
大理石、ヘレニズム時代後期。
ダマゲトスの息子、ニコクレスの円筒形の葬儀祭壇。月桂樹の花輪や牛の頭、リボン、ペンダントの浮彫装飾。 浮彫装飾が彫られた後に碑文が刻まれました。
紀元前2~1世紀ごろ
黒海のアマストリス出身、ニキアスの円筒形の葬儀祭壇。 月桂樹の花輪と雄牛の浮彫装飾。 紀元前2~1世紀ごろ
ハリカルナッソス出身と思われる、男性の円筒形の葬儀祭壇。 碑文は判読できません。 ヘビは、故人または冥界の神を象徴する凸面に巻きついています。
紀元前1世紀ごろ
「ローディアン式」の葬儀祭壇で、葬式の宴席を浮き彫りで表現しています。 描かれているのは、3人の人物と食べ物の載ったテーブル、両脇の召使い達です。 祭壇は、フィロクラテスの妻であり、リュキアのミラ(Myra)出身のイシドラのものです。2人目の女性(名前がmalousiaといい、トロード(トロアス)のmalous出身かもしれない)についても言及されています。Massariの村で発見されました。
大理石、紀元前2~1世紀ごろ
その他にも、人物の浮彫を伴った円筒形の葬儀祭壇もあった。文字がはっきりと見え、細かい浮彫装飾となっている。
余談
牛の顔がついた円筒形の葬儀祭壇は、リンドスのアクロポリスにもあった。特に、展示ボードもなかったので、その時は、柱の装飾の一部なのかと思いこんでいたが、それらが葬儀祭壇だったとは、思いもよらなかった。
また、以前、デロス島ではこんなものを写真に収めていた。感じがずいぶん違い、華麗な印象を受けるが、これも祭壇だったのかもしれない。
紀元前167年以降、デロス島が自由貿易港になってから、商人や銀行家、船主などの裕福な人々が島に集まったというから、彼らが美しく優雅な祭壇を職人に作らせたのかもしれない。年代もちょうど紀元前2~1世紀で同じ頃になるが・・・。
うーん・・・、真相はいかに?!(笑)