セフェリス(Giorgos/George Seferis)を知ったきっかけ
ギリシャ・ペロポネソス半島のナフプリオン旧市街にある考古学博物館で、古代集落アシニ(アスィニ)の展示コーナーに、彼の詩「アシニの王」の一節が紹介されていた。調べるうちに、彼の詩集が日本語訳されていることを知り、今回、読んでみることにした。
セフェリスと時代背景
1900年(明治33年)トルコ領スミルナ(イズミール)生まれ。20世紀のもっとも偉大なギリシャ詩人の一人、1963年にノーベル文学賞を受賞。ギリシャ外務省・領事館勤務、大使館の外交官勤務をこなしつつ、精力的に詩集を刊行、数々の賞や名誉などを受けている。1967年、クーデターで誕生したギリシャの軍事政権に異を唱え、抵抗し続けた。1971年死去。アテネの葬儀には大群衆が参加し、それが後の軍事政権に対する抵抗運動に発展した(軍事政権は1974年に崩壊)。
揺れ動く緊迫した国際情勢や国内の政情不安が常態化した時代、立て続けに勃発する戦争の時代を生き抜いた詩人であり、20代前半で生まれ故郷の住民虐殺と破壊を経験、外務省勤務では(おそらくギリシャ亡命政府に伴う)亡命生活の経験なども経ており、それらの影響が彼の詩に色濃く反映されている。
感じたこと
実際に詩集を手に取るまでは、恥ずかしながら、ギリシャの美しい神々の世界を詠った甘美な詩の数々を想像していた。しかしながら、それは、とんでもない完全なる思い違いであり、それはギリシャの美しいイメージだけを抱く、典型的な”外国人的思想”であったことを、思い知らされた。
前述した彼の生きた時代、影響を受けただろう事を知れば、詩の行間に漂う、彼の、さらに深い思いを知ることができるだろう。
芸術に昇華された彼の詩は、大勢の人々の心に寄り添い、傷ついた人々の心の内を吐き出す助けになったに違いない。
彼は「ギリシャの軍事政権に異を唱え、抵抗し続けた」ことからもわかる通り、常に、ギリシャの国民側に立ち続けた人であったのだ。
しかしながら、彼の詩を「ギリシャの美しい神々の世界を詠った甘美なもの」と想像していたことを「とんでもない完全なる思い違い」と先述してしまったが、実を言うと、現代の我々をギリシャ神話に重ねた皮肉たっぷりの詩や、古代の船漕ぎ人たちを題材にした、走馬灯(影絵)のような雰囲気の不思議なストーリーを詩にした幻想的な作品も楽しめる。
中には難解な詩もあるが、頭で考えず、感覚やイメージ、雰囲気で捉えるのもいいかもしれない。
おまけ:ギリシャの言語問題?!
セフェリス詩集の解説(志田信男氏による)で興味深いと思ったことを、いくつか挙げさせて頂く。
「”現代ギリシャ語の特徴として、口語と文語の大きすぎる開き”」の問題があるという。それは「”民衆の言語としてのギリシャ語と、古典(古典古代文化時代の古代ギリシャ語)を範とする学者たちの文語の対立”」だという。
「”19世紀後半、口語運動は確固たる地盤を得、…特に、アテネの言語を土台とする共通口語が詩、小説…など各方面に使用される一方、官庁などでは、古い文書語が使用”」されているそうだ。
この文語問題は「”学校教育において、民衆語か古典ギリシャ語か、どちらに比重を置くか、という問題が、政治情勢によって左右される”」とのことで「”国民的な論争課題”」になっているそうだ(わたしは、恥ずかしながら、この本に出会うまで、こういった問題があることを知らなかったが、思い返せば、ギリシャ旅で道連れになったギリシャ人女性が、ヴェルギナの考古学博物館で、古代の石に刻まれた言葉の内容をさらっと教えてくれ、驚いたことを思い出した)。
セフェリスは「”民衆語と、民衆の中に流れているギリシャ的伝統に、愛着と尊敬を持って…”」いる詩人とのこと(詩集の解説では、そのことを裏付けるセフェリスの「”独立戦争当時の将軍:マクリヤニスへの尊敬の念…”」や、ギリシャ的精神の追求、良い教育とはどういうものか、などが紹介され、彼の深い洞察や思いを知ることができる)。
また、他国に支配されてきた期間が長く、独立したのが近代になってから、という歴史を持つギリシャだが、そのような状況下で「”現代ギリシャ語が、ミケーネ以来の古代ギリシャ語の直系の後裔(こうえい)であり、古代以来のギリシャ文学を使用している”」という奇跡に、驚きと深い感銘を受けた。
「”カイモン・フライヤーいわく『外国民による征服、搾取、殺到の、幾世紀にも渡る長期間、ギリシャ的特性は…保持されてきた…現代ギリシャ語がいぜんとして、古典ギリシャ語直系の相続人であること…』”」
…本当に、稀有な事であり、奇跡なのだ。
最後に
ギリシャ語の口語と文語では、いろいろと対立があり問題はあるようだが、紀元後、2000年という遥かな時を経てもなお、古代の偉人たちが使っていた古代ギリシャ語が、人々の中に息づき、愛されている事実に胸が熱くなる…と、同時に…
口語は、長期間に渡る苦難の時期を生き抜いた、ギリシャの民衆が紡いできた、生きた言語であり、こちらも限りなくすばらしい。
・・・ ・・・ ・・・ ・・・
最後に、セフェリスの詩の一部を引用させて頂きます。
…
ぼくらのことばは
数多くの人々の子供だ
彼らは嬰児のように播かれて
根づき 生まれたのだ
血液で育まれたのだ
松の木のように
彼らは風の形をしている
風が去ってしまうと 非在となる
言葉も同じだ
それは人の形を保存している
そして人が去ってしまうと
非在となる
…
セフェリス詩集より 詩の一部を抜粋し、引用(訳:志田信男氏)
※「””」は「セフェリス詩集」本文からの引用、及び要約となります。
冒頭写真:ナフプリオンの夕暮れ