岩壁の船の彫刻
窓口でチケットを買い、アクロポリスへと足を進める。ほどなくして、岩壁の彫刻が目に入ってくる。有名な「サモトラケ島のニケ像」(ルーブル美術館所蔵)の作者が彫ったものと言われている。
軍艦の船尾の浮彫(紀元前2世紀初期)
ロードス海軍の勝利の際、リンドスの人々に尊敬されたミキオンの息子であるアギサンドロスの銅像の台座として制作されました。・・・浮彫の前の岩には、記念碑を保護するために設置された鉄の手すりの穴が残っています。 船体の碑文によると、この作品はティモカリスの息子である有名なロードスの彫刻家、ピュトクリトスによって作成されました。このような船の芸術的表現は、ロードス人の海事における伝統と船の戦闘能力に対する自信と密接に関連しています。展示ボードより一部引用し和訳
いよいよ頂上へ
船の彫刻を通り過ぎ、要塞の階段を上がる。アクロポリスの丘は、この要塞の石積の壁でぐるりと囲まれている。最後、石のトンネルを通り抜けてようやく中へ入れる。
石の遺物が両側に並んだ、暗いトンネルを抜けアクロポリスに入ると、目の前には、さらに、おびただしい数の石の遺物があふれかえっており、ただただ圧倒される。
ほとんどは、彫像の台座のようで、碑文が彫られていたり、上部に(彫像の)足形の穴があいていたりする。
「ΛΙΝΔΟΣ=LINDOS=リンドス」と彫られている。
ローマ神殿跡
このアクロポリスの一番低い場所に、かつてはローマ神殿が建っていたようであるが、ほぼその面影はない。どうやら、神殿は要塞の石材として利用されてしまったらしい。
ローマ神殿(3世紀)
たくさんの奉献物(ex-voto)であふれ、木々が植わっているアクロポリスの最も低い場所に、3世紀後半、大きな神殿が建てられました。 ・・・295年にローマ領の島々(Provincia Insularum)の中心にロードスを設立した皇帝ディオクレティアヌスに捧げられたものと思われます。
南側に入り口のある神殿は、要塞の塔から1メートルの間隔をあけて平行に高い基壇上に建てられました。 残ったのは、岩の上に築かれた土台の跡と、コリント式の柱頭1つと神殿の側壁(アンタ)の柱頭1つでした。正面に4つの柱がある、側壁(アンタ)を伴ったプロスタイル(前柱式)の神殿で・・・長さ9.25メートル、幅約16 mと推定されます。神殿から取り去られた建築石材は、ビザンチンと中世の要塞の建設に使用されたと考えられています。展示ボードより一部引用し和訳
残るは石の土台のみ・・・。
パンフィリダス司祭の奉納エクセドラ
発掘当時の写真(展示ボードより)。このエクセドラも奉献物(ex-voto)の一つ。
・・・パンフィリダス司祭の奉納エクセドラ(紀元前3世紀後半)
この半円形のエクセドラは、紀元前215年に、アテナとゼウス神殿の司祭であった・・・パンフィリダスの奉献物(ex-voto)でした。 彼のブロンズ像は・・・エクセドラの背もたれの中央に設置され、その横に3つの小さな彫像がありました。さらに、紀元前2世紀のある時期に、彼の息子、同名のパンフィリダスの像が、リンドスの人々の奉献物(ex-voto)としてエクセドラに追加されました。それは、ロードスの彫刻家、ピュトクリトスによって作成されました。
展示ボードより一部引用し和訳
ちょっと一息
2000年以上前の人々の記録が、こうして石に刻まれ残っていることに、改めて驚かされ感動するも・・・太陽の熱で肌がじりじり焼けていき、もはや暑さで何も考えられなくなってきた。
そうだ、ちょっと休もう!
わたしは涼しい潮風を求め、崖のふちへ向かった。
ex-voto・・・祈りが聞き届けられたときに神様に捧げる奉献物。ex-votoの数は、古代リンドスの人々が乗り越えてきた危機・困難の数を示すのかもしれません・・・。
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