” ”内は遺跡内の展示ボードより、一部、引用し和訳したものになります。
小浴場の周囲
小浴場近くの建物の石壁には、テラコッタ製のパイプが無造作に置かれていた。付近に展示ボードはなく、詳細は不明。一言、説明が欲しいところである。
他にも、目をよく凝らすと石壁にパイプが通っているのが見えた。
遺跡の見学路から
頂上のアクロポリスへ行くには、遺跡の真ん中をつらぬくメインストリート(両脇の住居跡を間近で見られる)を行くか、もしくは遺跡の両側を縁取るように作られた、少し高い位置にある見学路(古代の住居などを少し高めの位置から見られる)から行く方法がある。
小浴場辺りで、見学路に行くかメインストリートに行くか、選ぶことができる。わたしは、行きは見学路、帰りはメインストリートを通って戻ってくることにした。
ちょうど下の写真で言うと、奥に見える白い上り坂の小道が見学路。写真の右手に行くとメインストリートへ道が伸びている。
見学路を少し上ると、こんな景色が見えてくる。この日は風が強く、海上には白波が見えた。このまま、海まで飛んで行けそう!!・・・な気分(笑)。
見学路をしばらく歩き、振り返ったところ。
右手に遺跡を見ながら歩く。いつのまにか、アゴラの広場にツアー客が集結していた。
柱が復元されている住居跡。
見学路から頂上を見上げた様子。メインストリートの階段を上がる人々が見える。
斜面の中腹にもう一か所、柱が復元された住居跡があった。
住居について
下の2つの図は、柱が復元された住居跡のうち、斜面中腹にある方のものである。
住居について
住宅地は街の中央部を占め、坂の上方へと広がっていました。しかしながら、発掘はまだ終わっていません。・・・今日残っている家々は古代末期のものですが、ヘレニズム期の重要な特徴を有しています。 ほとんどの古代ギリシャと古代ローマの住居がそうであったように、家の中心には、通常、側面に柱廊玄関(ポリティコ)を配置した中庭またはアトリウム(水盤のある中庭)がありました。
古代カミロスの家の特徴は、中庭の三面に列柱が存在することでした。 典型的な例は、復元されたペリスタイル(列柱に囲まれた中庭)を持つ2つの家です。部屋は中庭の周りに配置されました。その中でも重要なのは、一家団欒(だんらん)の部屋であるオイコスと、家の主人が酒宴で友人をもてなした客間であるアンドロンです。
狭い通路は通りから家の中庭に直接つながっていました。入り口に隣接する片側には、通常、門衛の詰め所として識別される部屋がありました。通りに面した部屋はおそらくお店であり、いくつかのケースでは、これらは住居の他の部分とは通じていませんでした。そして、ほとんどの家は2階建てでした。
家がほとんど2階建てで、通りに面した部屋はお店だったということは、今見えている風景とはずいぶん印象が違うのだろう。通りは買い物をする客で賑わい、アクロポリスは家々の屋根越しに見えていたのだろうか?
頂上からの景色
斜面の中腹を過ぎた辺り。
あと少し!
ひゃー!!
ふり返ると、こんな感じ(笑)。
ちなみに・・・右の赤丸内の人はわたしと同じコースを歩いている。遺跡を挟んで反対側の、左の赤丸内も高い位置の見学路になっている。上から眺めながら上り/下りたい方は、ぜひ!