オリンピア遺跡見学 2
フィディアスの仕事場を出るとレオニデオン(宿泊所)跡が見えてくる。紀元前4世紀に建てられた正方形の建物だ。
延々と続く列柱に四辺を縁どられた、オリンピア遺跡で最大の建物。一周するだけでも、かなりの距離を歩く。中央には、ローマ時代に建てられた円形の水盤があるという。おそらく、丸い形の木が植わっている辺りだろう。
別アングルからの写真。中央の水盤を見たいと思ったが、なかなか見えない。
やっと近づいてみるも、うーん、あの辺りかな~?という感じ。
(上写真のズーム↓)
丸くレンガで縁どられている部分が、わずかに見える。ローマ時代の水盤跡だ。地上からだと、なかなか確認するのが難しい。レオニデオンは、この水盤のある中庭のスペースを取り囲むように部屋が配置されている。
レオニデオンの南西にあるローマ時代の建物。
内部にはバスタブのようなものが残っている。左奥の下(角)には、パイプのようなものが見えた。
こちらもローマ時代の建物。内部の見学はできなかった。
その後、レオニデオンを一周したら、ネロの家方面へ右折。南の浴場跡を右手に、ゼウス神殿が左手に見えてくる。ゼウス神殿は、後でゆっくり時間をとって見学するつもりでいたが、地面にバラバラに崩れ落ちた神殿の巨大な石柱が、まるで、だるま落としの輪切りのように、地面に散乱する様子に目を奪われてしまった。
栄華を極めた時代は今や遠い昔と言えども、この迫力。どれだけ立派な神殿だったのだろう。
さらに道をまっすぐ進むと、右手に、競技前に選手たちが宣誓をしていたブレウテリオン(評議会場)跡がある。
ブレウテリオン(評議会場)の再現図(展示ボードより)
展示ボードの説明によると、ゼウス像とゼウス・ホルキオスの祭壇は、半円形の壁のある2つの両翼の建物の間にある、中央の正方形の建物にあり、そこで選手と競技審査員が、試合前に宣誓をしたそうだ。柱廊は、紀元前5世紀に増築されたという。
今では、ベースの石の部分しか残っていない、紀元前6世紀の建物。下の写真では、カーブした石積から、かろうじて、両翼の建物の半円形の部分(北側)とわかる程度だ。
こちらの三角形の、独特の形をした石の建造物は、勝利の女神ニケ像の台座だったそうだ。
展示ボードの説明によると、紀元前5世紀、最初に建立された場所に、今もそのまま立っているとのこと。この三角形の高い台座の上に、高名な彫刻家パイオニオスによって作られた、有翼のニケ像が設置されていた。台座の高さは9m、彫像を含めると12mになったという。
正面には、紀元前421年、スパルタに勝利したメッセニア人とナウパクトス人(女神像の寄進者)による、碑文が刻まれているそうだ。それらは、オリンピア考古学博物館で、女神像とともに見ることができる。また、台座の下部には、紀元前135年頃、メッセニア人による新たな碑文が刻まれたという。
暑さにダウン!
このままネロの家へ行きたかったが、とうとう体の限界を感じ、近くの木陰へ緊急避難した。このまま歩き続けたら、間違いなく倒れてしまう気がする。
木陰がたくさんあり、涼し気な印象のオリンピア遺跡だが、風はなく、熱気が体にまとわりつき、離れない。この日は、あちこちの木陰で座り込んでいる人々を見た。もう、日陰のベンチを探す気力もない。古代の石に、力なく座り込む。
まだ、5月末だというのに…何という暑さ!
とにかく、ムリは禁物。しばらくじっとして、水分を補給する。
休憩した場所で撮った写真↓
美しい文字が刻まれた石碑。下から二段目の「ΟΛΥΜΠΙΑ」は、「オリンピア」と読める。上から三段目の「ΔΑΦΝΗΣ」は、うーん…、月桂樹??なのかな…??
それから…なんと、ハート型の石を発見!!
何かいいことありそう!(笑)
ちょっと、癒されたところで…(笑)、体調も回復!
このまま、ネロの家を目指すことにする。
冒頭写真:ゼウス神殿の、崩れてバラバラに転がった柱