復活
ティリンス遺跡から戻った後は、ホテルのチェックアウトを済ませ、そのまま、ナフプリオン観光を続行しようと思っていたのだが、実は、数日前に、機械に通しても読み込まれず、使えなくなったクレジットカードのことが気になっていた。
原因は、カードケースでの保管を怠ったためで、それ以来、カード同士が重ならないよう気をつけていたのだが、なぜか「そろそろ、カードは回復しているころ」という変な確信がわたしの中に芽生えてきて、それならば、チェックアウトの際、試しにカードを使ってみよう!と思ったのだった。
ホテルのオーナー姉妹のお姉さんが対応してくれたが、カードを機械に通すも…失敗! 親切にも、彼女は何回か試みてくれ、最後にゆーーっくり、カードを慎重に機械に通すと、見事、カードは機械に読み取られ、支払いが成立した‼
ブラボー!
緊張がほぐれ、ホッ!とした瞬間だった。
ナフプリオン考古学博物館へ
会計が無事終わると、そのまま、大きな荷物を預かってもらい、わたしは考古学博物館へ向かった。今まで、ここナフプリオンを拠点にして、大きな遺跡3つを巡る旅をしてきたが、なんと、この街にも考古学博物館があると知り、興味がわいてきたのだった。
旧市街を東から西へ突っ切るように、シンタグマ広場方面へ向かって歩いて行くと…
わぁ!!
色とりどりの、かわいらしい小旗が舞う広場に出くわした。
今日は祝日? それとも…お祭り?!
風にはためく旗たちが、華やいだ気分をさらに上昇させてくれる。
よーく見ると、見た事もない柄や文字の書かれた旗がまざっている。
どんな意味が込められているのだろう?
考古学博物館の見学
考古学博物館は、シンタグマ広場の奥にひっそりと建っていた。ガイドブックに短い紹介文が載っているに過ぎなかったが、この博物館は3階まで見学フロアがあり、丁寧に見てまわると、それなりに時間は必要であった。
・・・ ・・・ ・・・ ・・・
それでは、いくつか見てみよう(””内は博物館の説明をざっくり和訳)。
”フランクティ洞窟で見つかった新石器時代の遺物、紀元前6800年~紀元前3200年”
※(自分なりにネットで調べたところ)フランクティ洞窟とは、ナフプリオンより南東に下った海岸近くにある(何千年~万年という)石器時代の人々が暮らし続けた洞窟で、その痕跡から彼らの暮らしの発展過程をたどることができる、たいへん貴重な場所のようだ。
”「クーラー(冷却器)」ティリンス、紀元前2700年~紀元前2200年”
※(自分なりにネットで調べたところ)気化熱を利用して、食物・飲料を冷やす冷却器のようだ。ウィキペディアによると、今もアフリカなどで気化熱を利用した冷却器(土器)は使用されているようで、二重ポット式冷蔵庫=pot-in-pot refrigerator、クレイポットクーラー=clay pot coolerなどと呼ばれている。写真の土器も、周りに湿った砂を入れ、濡らした布を上にかけ、中に入れた野菜や果物、ワインなどを保っていたのかな…?などと想像する(湿度の高い日本では、向かなそう…)。
”甕(かめ)ティリンス(?)紀元前2700年~紀元前2200年”
数千年前の数々の土器たち。
”イルカが描かれたティリンス宮殿の漆喰の床の正方形のパネル、紀元前13世紀”
背中合わせのイルカが2頭、縦に並んでいるのが見えるだろうか?
下写真↓ 中央のイルカが再現図。
ティリンス遺跡の炉床のある部屋(メガロン)の床には、イルカの他、タコや細かい模様の正方形の図柄が、まるでタイルを敷き詰めたように描かれていたようだ。
遺跡見学では、炉床さえ見つけることができず、粗削りな大岩の石積や、石ころだらけの宮殿の景色に圧倒されるばかりであったが、繊細で豊かな美的感覚あふれる、色彩に富んだ姿がティリンスにもあったのだ、と知ることができて嬉しかった。
”円い形の花と、パピルスの花&渦巻き模様のフレスコ画、ティリンス宮殿、紀元前13世紀”
パピルスの花は、おそらく、白い渦巻き模様の左上と右下の部分:扇形に描かれている部分なのだろう。そういえば、サントリーニのアクロティリ遺跡の壁画でも、パピルスの花は扇形に描かれ、ミケーネの考古学博物館でも、パピルスの花の黄金のイヤリングは扇形だったな、と思い出した。エジプトの多大なる影響の1つだ。
以下:ズーム写真
冒頭写真:ナフプリオン考古学博物館にて