円形墳墓A
迫力満点のサイクロプス式石積の擁壁(ようへき)を通り抜けると、いよいよ円形墳墓Aの登場であるが…、ここで、地元の小学生たちと遭遇! 遠足のようだ。
わぁ、キミたち、なんて恵まれているんだろう!
…と、思わず、心の中で語りかけてしまった。
とりあえず、円形墳墓Aをぐるっと一周、まわってみよう。
墓の周りを取り囲む石の壁。二重に張り巡らされている。
まずは、この間を歩いてみる。 向こう側に見えるのは、サイクロプス式石積の擁壁(ようへき)。
展示ボードによると、円形墳墓Aは、城塞の西へ広がっている、ヘラディック時代中期、およびヘラディック時代後期初頭の、広大な墓地の一部なのだそうだ。紀元前16世紀には、もっぱら王家の埋葬のためだけに使用されていたとのこと。6つの竪穴式墳墓 (I ~ VI) が含まれ、うち5つはH.シュリーマンによって1876年に発掘、残りの1つは翌年、P.スタマタキスによって発掘されたそう。王家の人々は豪華な副葬品と共に埋葬されており、それらの副葬品は、現在、アテネの国立考古学博物館に展示されているとのこと。最初、円形墳墓Aは壁の外にあったが、紀元前1250年頃、サイクロプス様式の石壁を西へ拡張したことにより、王家の墓地は城壁の中に取り込まれ、さらに円形の囲いの建設によって強化されたそうだ。
墓の内部は、何がなんだかわかりにくい。
長方形に掘られた石壁の部分が、竪穴式墳墓なのだろう。
円形墳墓Aの南側にある建物群(下写真の左奥、屋根から向こう側)は、発掘中なのか見学はできなかった。
もちろん、いまだに全ては発掘されていないのだろう。バスで駐車場に入る前にも、車窓からチラッと道路脇に遺跡(油商の家跡を含む)が見えたが、まだまだ城外にも埋もれたままの古代の遺跡があるに違いない。
それから、下記2枚の写真は、円形墳墓Aのすぐ南隣にある「戦士の壺の家」跡(部分)。
懐かしの涼風
円形墳墓Aを見学した後は、考古学博物館へ向かう。途中、ミュージアム・ショップらしき、小ぶりの建物があったので「わぁ、冷房の効いた部屋だ~!」と、嬉々として入ろうとしたが、無残にも、お店は「CLOSE」だった!(笑)
あー、ギリシャだなぁ…(ここは日本ではない!)
気を取り直すも、太陽光線はますます強くなり、ジリジリと肌は焼けていく。風はない。わたしは、ミケーネの石ころの斜面を吹き抜ける、あの涼風を思い出し…
あー、あの斜面は、風が気持ちいいだろうな~
なんて、思ってしまう。
獅子のトロス式墳墓
とにかく、考古学博物館でいったん「太陽から逃れよう!」と思い、歩を早めるも、近くに無視できぬ、りっぱな遺跡を見つけてしまった!(笑)
うわっ、大きな穴!?
と、思いきや…
展示ボードによると、これはトロス式墳墓(「蜂窩状墳墓(ほうかじょうふんぼ)」)跡だそうだ。紀元前15世紀初頭のもので、獅子門の近くにあるため「獅子の~」と名付けられたそう。今は天井がなくなっているが、元々の高さは約15メートルほどだったと推測されているそうだ。
サイクロプス式石積の、不揃いなゴツゴツ岩に見慣れていたため、綺麗な石積に感動。
さらに、展示ボードでは、入口は、4つの一枚岩で覆われており、そのうちの外側の岩には2つの穴があることから、これは、まぎれもなく、扉が存在したという世界最古(?)の証拠なのだ、と述べられている…。
(上写真のズーム↓) 確かに、4枚ほどの一枚岩で入口の天井がふさがれているようだが、2つの穴、というのがよくわからなかった。
とにかく、下まで降りて、トロス式墳墓を何とか見学するも、日陰が一切ない、地面からの太陽の照り返しがきて、もう、どうにかなりそうな手前であった。
冒頭写真:ミケーネ遺跡、円形墳墓A(部分)