ひとり旅日記 ギリシャ

女ひとり旅日記 エピダウロス 遺跡見学再開 4 ギリシャ旅152

トロス跡

アバトン(聖なる仮眠所)を見学した後は、円形の古代建築物トロスへ向かったが(冒頭写真をご覧ください)、写真の通り、復元工事の真っ最中であった。

周囲には、石柱の部材があちこちに置かれていた。これから新品の石柱部材に古代のオリジナルの部材をはめ込み、柱の復元が始まるのだろう。根気のいる作業であり、それには細やかな神経も要求されることだろう。

(下写真↓)複雑な形にカットされた左手前の石柱部材(そこに古代の部材がはめ込まれるのだろう)。

エピダウロス遺跡

 

(上写真の拡大↓)

エピダウロス遺跡

 

では、さっそく展示ボードを見てみよう。(一部引用し、ざっくり和訳)

トロスは、アスクレピオス神殿、およびアバトン(聖なる仮眠所)のストアとともに、…聖域の中心にある主要な建物であった。トロスという名前は、古代 (西暦2世紀) の旅行家パウサニアスが使用したものである。彼はまた、トロスを建築したアルゴス出身のポリュクレイトスについても言及していたそうだ。

聖域で発見された紀元前4世紀の碑文には、トロスの建設にかかる年間費用が記録されている。また、トロスは(ギリシャ語の thyo:犠牲の意味から来ている)Thymeleと呼ばれ、それは祭壇を意味していることから、神への何らかの奉納に使われたことが暗示されている。トロスの建立については、現代の研究では、紀元前4世紀半ば頃と考えられているそうだ。

建物は円形 (直径21.50m) で、その外側には、3段の基壇上に建てられた、柔らかい石灰岩製の26本の柱が並ぶ、ドーリア式柱廊があった。フリーズ(建物上部の壁面に模様や彫刻が施された水平の帯状の部分)のメトープは花の浮彫りで装飾され、エンタブラチュア全体には色が塗られていたという。内室も円形をしており、柱廊と内室の間にある天井の格間(ごうま)、および、内室の入口の枠部分は大理石で作られ、華麗な花のモチーフで装飾されていたそうだ。屋根瓦も大理石で作られ、ライオンの顔をした樋嘴(ひはし)で装飾された樋があり、中央には植物のフィニアル(建物上部を飾った彫刻)が設置されていたそうだ。

内室の内部には、大理石でできた14本のコリント式柱からなる、第二の円形柱廊があり、 壁は、画家パウシアスの作品で装飾されていたという。床は、白と黒の菱形をした大理石の石板で作られ、床の中央にある取り外し可能な円形の板が、地下施設への入口だったそうだ。地下には、円形の狭い部屋が中央にあり、同心円状に配置された3つの廊下で構成され、ドアにより廊下の移動はできたが、各ドアが左右交互に石の障壁で固定されていたため、訪問者は廊下から廊下へ、ジグザグに移動しなければならなかったそうだ。

この建物がどのように使用されたのかは、ほとんどわかっていないが、墓碑の一種として一般的な円形をしていること、冥界の暗い道を彷彿とさせる地下迷宮があること、そして、4世紀のクリスチャン作家達によるエピダウロスのアスクレピオスの墓への言及が、アスクレピオス神の地下/冥界での住まいを想定した、トロスの解釈を裏付けているそうだ。神話によると、ゼウスの雷に打たれたアスクレピオスは冥府に追放されたが、同時に冥界の座から、人々を癒し続ける特権を受け取っていたという。

最近の研究では、トロスの迷宮の天井が、患者たちの聖なる仮眠が行われたアバトンの1 階の天井とまったく同じ高さであることがわかっており、これは、2つの建物が相関する宗教的内容で結びつき、それらが同じ、一つの建築計画で設計されたに違いないことを意味している。聖なる仮眠、つまり神が患者の健康を回復させたアバトンでの眠りは、死を模倣したものであり、冥界への一時的な降下であり、アスクレピオスが座す地下/冥界に強く結びついた、エピダウロスの癒しの、まさにその性質に課せられたもの、なのである。

20世紀初頭、遺跡の周囲で建物の欠片が発見され、エピダウロス考古学博物館にて、それらの復元が断片的にされたが、現在は、…コリント式の柱頭のみが展示されている。この柱頭は、トロスの近くに丁寧に埋められていたのが発見されており、トロスのコリント式内部列柱の、実際の柱頭制作のモデル(見本)だったと解釈されている。…

展示ボードより(一部引用し、ざっくり和訳)

 

いろいろと謎多きトロスではあるが、上記の展示ボードの解説(トロスとアバトンの関係)から想像すると、アバトンの1階へ下りることが、アスクレピオスの住む地下世界(冥界)への旅立ちを意味し、夢で治療を受け、再度アバトンの2階へ上がる(地上の世界へ戻る)が、冥界からの帰還(死と再生)の疑似体験と考えると、非常に神秘的で奥深いものを感じる。

さて、工事中のトロスであるが、下記の図が復元工事の完成図だそうだ(展示ボードより)。

トロスの復元完成図 展示ボードより エピダウロス遺跡

 

スタジアム跡

トロスを見学した後は、スタジアムへ。癒しの聖地にスタジアムとは意外な気もするが、スポーツは治療の一環と考えられていたし、祭りの際には、アスクレピオスへの奉納競技が行われていたのだろう。

エピダウロス遺跡

 

石の観客席がきれいに残るスタジアム。

エピダウロス遺跡

 

さっそく、展示ボードを見てみよう。(一部引用し、ざっくり和訳)

アスクレピオスを讃えるエピダウロスの祝祭には、さまざまな儀式や運動競技が含まれていた。運動競技は、聖域中央エリアの南西に建設されたスタジアムで、すでに紀元前5世紀初頭には行われていたことが、抒情(じょじょう)詩人ピンダロスの言及からわかっているそうだ。…

エピダウロスのスタジアムは、競技のスペースと観客達を収容するのに適した窪地に建設され、長方形 (長さ180.7m、幅22.06m)の走路は、柔らかな石灰岩の水路に囲まれていたという。 水は、競技者だけでなく観客にも欠かせないものだが、水路は雨水の排水路としても機能したそうだ。

元々、走路の両端には、浅い溝と穴のある石で作られたスタートライン、およびゴールのラインがあり、スタートの装置を支える木の柱が立てられていたが、後の時代に、イオニア式半円柱の列を伴ったスタートの合図を出す特別な仕掛け (ヒスプレックス) が作成されたそうだ。

紀元前4世紀後半から、スタジアムの傾斜した長い2つの側面に、石の座席の設置が始まった。発掘調査では、主にスタジアムの東側に沿った斜面に、自然石と粘土で作られた初期の階段が見つかり、それら質素な階段の建立は、スタジアム建設の第一期にさかのぼる、紀元前5世紀と推定されている。一方、石の座席の建立は、紀元前4世紀末から、おそらく紀元前1世紀まで続いたとされるが、石の座席の構造は、今日まで保存されているもの以上のものではなかったという。

競技関係者と選手たちは、スタジアムの北側にある地下のアーチ型の通路を通ってスタジアムに入ったそうだ。 この通路はスタジアムの北側の建物につながっており、その粗末な廃墟はトレーニング室 (パライストラ) または更衣室 (アポディテリオン) として解釈されている。…

展示ボードより(一部引用し、ざっくり和訳)

 

スタートの合図を出す特別な仕掛け :ヒスプレックスが気になるところだが、図を見てもわかりにくいため、時間のある方は、Youtube(検索ワード「hysplex」)で調べると、なかなか興味深い映像を見ることができる。

つづく

冒頭写真:復元工事中のトロス、エピダウロスにて

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