” ”内は遺跡内の展示ボードより、一部、引用し和訳したものになります。
アテナの聖域について
遺跡の頂上はアテナの聖域となっている。下の図はその復元図である。
アテナの聖域
アテナの聖域は、紀元前9世紀からカミロスのアクロポリスに存在していました。初期のもので残存しているのは埋納遺構だけです。その中には、おそらく紀元前6世紀の再建中に埋納された、数々の奉納品がありました。最初のアテナ神殿が建てられたのも、おそらくこの頃です。埋納遺構は、長方形の深い穴と、小さな岩の空洞で構成されており、後にヘレニズム様式の神殿が建てられたエリアにありました。大規模な再建工事は、おそらく紀元前227年の地震の後、ヘレニズム時代に聖域で行われました。その建築計画は、ヘレニズム時代には一般的であり、リンドスの聖域でも見られる段々になった(ひな壇式の)配置に基づいていました。メインストリートの終わりにある、(アクロポリスの)最下段には小さな祭壇が立っていて、そこから2つの傾斜路が2段目の台地の端を通っていました。その前には幅広い遊歩道があるドーリア式のストア(柱廊)がありました。
ストア(柱廊)は204メートルの長さがあり、古代では最も長さのある建築物の1つでした。その後部には、聖域のニーズに応える部屋が並んでいましたが、最上段に通じる階段によって中央を分断されていました。そして、一番高い場所には、内なる神聖な境内、もしくはテメノス(聖域)にアテナ神殿が建っていました。
ストア(柱廊)
ヘレニズム時代のストア跡。残念ながら、再建された列柱はない。
イタリア人によって再建されたストアは、1962年の嵐で倒壊しました。
ストア跡の奥に進んだところ。(おそらく)ストア後部にあった部屋のあたりと思われる。
上の写真を拡大したもの。わずかに残る石積は、部屋の仕切り壁と思われる。
冒頭の写真について:東西に長く伸びるストア(柱廊)を東方面(街をバックにすると左手)に向かって撮ったもの。ここまで上ってきた見学者たちが、頂上からの景色を楽しんでいる。
アテナ神殿
ストアの西側へ回り込み、アテナ神殿を目指す。その途中にある貯水槽については、次回。
アクロポリス最下段にある小さな祭壇。
アクロポリスからの海。
アクロポリスの西側。ここからもよく海が見える。木の影は短くなり、正午が近いことを示していた。
ああ・・・!!
なんと、ここがアテナ神殿跡!! 土台の石が残るのみだった。
この土台の石の大きさから、威風堂々とした、立派な神殿が建っていたことが想像できる。(下記写真は、反対側から撮ったもの)
アテナ神殿に埋蔵された奉納品(一部)。
周囲の景色
東南にかけては、山谷が広がっている。緑が多い場所である。この丘陵のどこかに古代の人々の墓地があったのだろうか?
西側から見た海。