◆館内の展示ボードと写真を中心に、膨大な展示の中から、個人的に惹かれたものを紹介します。一部、ガラスの反射で写真が見にくくなっています。ご容赦くださいませ。
古代マケドニアの教育
教育
子供たちは読み書きや、音楽、数学を教えられました。
レッスンは家だけでなく屋外でも行われました。
たとえば、アリストテレスは、ミエザ(現代のレフカディア、ナウサ)のニンファイオンの日陰の小道でアレクサンダーと彼の学友を教えました。展示ボードより一部引用/和訳
運動競技
主な運動場は体育館でしたが、練習や試合は屋外でも行われました。
Payotribes(コーチ)、hoplodidaskaloi(武器の達人)、トレーナーなどを含む専門スタッフが、そこで練習を行う若い男性を担当しました。2つの特別条例が、ヴェリアとアンフィポリスの碑文に保存されており、マケドニアの都市がどのように「子供」(14〜18歳)の運動能力、「ephebes」(18〜20歳)の軍事訓練、および 徴兵された「若者」(20-30歳)の体調を管理・強化していたか、記述されています。
展示ボードより一部引用/和訳
武具・武器
武具
”死は、最も荘厳な甲冑に身を包み、武器を携えたあなたを見つけることでしょう”
クセノポン、アナバシス(紀元前4世紀初頭)マケドニアの戦士は武器と一緒に埋葬されました。 したがって、彼らの埋葬は、武具(武器)に関する豊富な情報を提供してくれるのです。
展示ボードより一部引用/和訳
ミエザの古代マケドニアの墓内に描かれた壁画装飾。紀元前250年頃。
兜や膝当(ひざあて)・脛当(すねあて)など。
”拍車付きサンダル”の図
長槍の穂先と剣。展示の壁には(見えにくいが)重装歩兵が密集して隊を組み、前列は長槍を真正面に構え、後列は長槍を斜め上に構え、前進している様子が描かれている。
攻城塔を乗せた軍船模型。攻城塔は敵方の要塞を襲い、高い壁を突破するための兵器。
船のデッキには投石器が2台。(見にくいが)白っぽい塊は積まれた石。
攻城塔の中にも大きな投石器が設置されている。
2隻の船が土台になっているとはいえ、こんな大掛かりなものを船上にこしらえるとは、驚きである。これで海岸沿いの要塞を襲ったのかもしれない。
冒頭写真については下記の通り:
アッティカの白地技法で絵付けされた、葬儀の供物用に使用されたオイル瓶、レキュトス。 紀元前420年頃の、墓地の情景を描いた壺絵師「葦(あし)」の作品。
テサロニキ考古学博物館 展示ボードより引用/和訳