テサロニキ到着、市内へバス移動
ロードス島から約1時間のフライトで、無事、テサロニキに到着。少なくとも、日が沈む前には、ホテルにチェックインできるであろう、という計算だ。
まずは、テサロニキ市内を目指すべく、空港に隣接するバスのチケット売り場へと向かった。空港から市内行きバスに乗るのは、さほど難しくない。問題は、バスに乗ったはいいが、どこで降りるかだ。降りるべきバス停の名前はわからない。
そこで、ホテルに近いと思われる目印を挙げて、バス停の名前を尋ねてみることにした。バスのチケット売り場で「ディモクラティアス広場に行きたい」と告げると、バス停は「IKA」と教えてくれ、親切にも、それを付箋(ふせん)に書いて手渡してくれた。(※後で考えてみると、とりあえずホテル名を言ってみれば良かったと思う。)
こうして、わたしは市内行きバスに乗った。それからしばらく走った後、わたしは車窓から見える景色に、肝をつぶすのであった・・・。
街に飲み込まれる?
わたしの目の前に広がったのは・・・だだっぴろい複数車線の道路、そして両脇には高々と威圧的にそびえるビルディング・・・。しかし、わたしにはそれがまるで、人喰い巨人が人を捕えようと、目を皿のようにして我々を見下ろしているように見え、そんな彼らの生贄として、わたしは広々とした祭壇に捧げられたかのように感じた。隠れる場所は、どこにもない・・・。
もちろん、それは異様な心境である。欧州の都市の、ありふれた光景が目の前に広がっているだけで、車中の人々は談笑したり、車窓の風景を楽しんでいる。しかし、わたしは、ふとした拍子に、街が自分を飲み込んでしまうのではないか、という恐怖にかられ、平静を保つのに努力を必要としていた。
大都会の洗礼
昔、地方から上京してきた芸能人が、初めて都会の風景を目の当たりにした時に「飲み込まれそうで怖いと思った」と、TVで話していた。それが、まさに、これだったのである!! 何もかもが大きくパワフルで、それらが自分めがけて、四方八方からのしかかってくるような感覚なのである。
東京のベッドタウンで生きてきたわたしにとって、いまだかつて経験したことのない、驚きの体験であった。
人々は忙しく、バスの運転も、心なしか荒々しく冷たいように感じられ、だんだん恐ろしくなってきた。とにかく、わたしはとても神経が過敏になっていた。
というのも、原因は、エーゲ海の島々で過ごした、あまりにも美しい日々にあった。たった11日間の出来事であったが、この11日間のあいだに、わたしの中では大きな変容が起こっていたのである。どこか、のんびりとして大らかなものが、わたしの中に育まれていたのだった。
それが今、人喰い巨人たちが見下ろす大都会の真ん中で、わたしはたった一人、その違和感を相手に、懸命に目を見開き、どうにか踏みこたえようとしていた。
冒頭写真:テサロニキ市内、エグナティア通りの洗練された案内標識