ひとり旅日記 ギリシャ

女ひとり旅日記 コリントス フォロロマーノ東側 ギリシャ旅183

フォロロマーノの東側

次は、フォロロマーノの東側を見てみよう(地図の日本語は加筆しています)。

遺跡マップ

 

以下、写真2枚:上地図の水色の円辺りから、北西/北方面を撮影。

コリントス遺跡

 

コリントス遺跡

 

そして、さらに東端へ歩いていくと…

コリントス遺跡

 

「ジュリアン・バシリカ(ジュリアン大聖堂)」のプレートを発見…(土台の石しか残っていなかった!)。

コリントス遺跡

 

※(後日、自分なりにネットで調べたところ…、西暦1世紀、ローマの植民地として、コリントスが再建された後、最初に建てられた主要建造物の一つであり、堂内には、ユリウス=クラウディウス朝の多くの彫像と、皇帝アウグストゥスの祭壇が備えられていたそうだ。また、ローマ帝国のアカイア属州の法廷がここに置かれていたとも言われ、この大聖堂は、この地にローマ大都市としての地位を確立し、皇帝崇拝の中心地を築くことに、重要な役割を果たしたそうである)。

※「ユリウス=クラウディウス朝」とは、古代ローマの初代皇帝アウグストゥス、ティベリウス、カリグラ、クラウディウス、ネロの5人の皇帝の時代を指すそうだ。

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さて、ジュリアン・バシリカ跡を南下していくと、サークル状に設置された石積周りにきれいな石の舗装が見えてくる(気になるも、この石の舗装についての展示ボードはなく、何も情報を得ることはできなかった)。

コリントス遺跡

 

そして、奇妙なオブジェに遭遇…。

コリントス遺跡

 

うーん、これは…(どこから見ても巨大な…石臼)?! 

石の上を見ることはできないが、何らかの彫像か記念碑の土台なのだろう…。

コリントス遺跡

 

そして、こちらがベマ(ロストラ=演壇)跡である。

コリントス遺跡

 

遺跡のパンフレットによると、ここでキリスト教の「使徒パウロが説教をした」と紹介されており、人気スポットになっている。さっそく、展示ボードを見てみよう。

ベマは、西暦1世紀半ばの複雑な大理石の建造物でした。…

Π(パイ)の字型の前門の形をしており、15.6 x 7.2 mの長方形の台座の上に建っていました。台座には2段のクレピス(基壇)がありました。…

上部の構造は8本の柱で構成され、柱と柱の間の中央3つの空間は開放されていましたが、両端の2対の空間は壁とベンチで塞がれていました。台座の両側には、屋根のない部屋(エクセドラ)が2つあり、3面のうち2面にベンチが置かれていました。…

ベマは公の儀式の場であり、コリントスの地方総督が集まった市民たちに演説をしました。これは使徒言行録に登場するベマに相当すると考えられており、使徒パウロは、コリントスのユダヤ教(会堂)の長老たちによってベマに引き立てられ、モーセの律法に反する破壊的な教えを説いていると非難されました。しかし、総督ガリオは、その教えはローマの法律に違反するものではないと判断しました。

ビザンチン時代には、ベマの敷地と廃墟跡に少なくとも2期に渡ってキリスト教教会が建てられました。2期目に建てられたのは、三廊式バシリカ(11~12世紀)でした。

ベマの両側にはフォロロマーノの主要な店舗が並び、今日でもその痕跡をみる事ができます。

展示ボードより (一部引用し、ざっくり和訳)

 

さらに、もう一つ、聖パウロをメイン・テーマとした展示ボードがあったので、こちらも見てみよう。

聖パウロとフォロロマーノのベマ

聖パウロは、キリスト教の布教のため、東地中海全域を宣教旅行したことから「諸国民への使徒」としても知られています(西暦46~58年)。この旅の中で、彼はサモトラケ、ピリピ、テサロニケ、ベレア(※)、アテネ、そして最も重要なコリントスなど、ギリシャのいくつかの都市を訪れました。ローマ帝国の植民地であり、アカイア州(ペロポネソス半島と中央ギリシャ)の首都であったコリントスは、ローマ時代に大いなる繁栄を享受しました。

聖パウロは、西暦1世紀半ばにコリントスに到着し、ユダヤ人の天幕づくりの職人:アクラとプリスキラのもとに身を寄せ、共に働きながら、市内のユダヤ人たちに福音を説き、説教をしました。しかしながら、市内の大きなユダヤ人コミュニティの一部から強い反対を受けました。そこで聖パウロは異教徒の改宗に全力を注ぐことを決意し、この決断は大きな成功を収めました。

聖パウロは、コリントスに1年半滞在した後、エフェソスへ旅立ちました。… 彼は去った後もコミュニティとの交流を続け、最も有名な手紙のいくつかである「コリント人への手紙」を指導者たちに宛てて書き送っています。

聖パウロはコリントス滞在中に、違法な教えを説いたという容疑で、総督ガリオの元に召喚され、裁判にかけられました。ガリオは、ユダヤ人間の単なる宗教論争とみなし、この件を裁くことを拒否しました。伝承によると、パウロの裁判が行われた場所はベマとされています。

ベマは、古代コリントスのフォロロマーノの中心に建ち、一際目立つ、高く大きな演壇であり、市の役人がここから民衆に演説をしていました。

おそらく、このような聖パウロとのつながりがあったため、ベマは、ビザンチン時代にキリスト教の教会に改築されたのでしょう。

今日では、この記念碑はコリントス大都市圏の歴史的な場所となり、聖パウロの祝日(6月29日)には大晩祷(だいばんとう)が行われる場所となりました。

展示ボードより (一部引用し、ざっくり和訳)

※ベレアは、今回のギリシャ旅行で、テサロニキから日帰りでヴェルギナに行った際、バスの乗換えで下車したヴェリアの町のことらしい(ヴェリアでは、道に迷い、使徒パウロのベマにはたどり着けなかった)。

発掘作業に遭遇~

たまたま発掘作業の現場を通りかかった。

コリントス遺跡

 

何が見つかったのだろうか? 気になるも…ロープが張られ、近づけず。

コリントス遺跡

 

発掘の中心におられたのは(おそらく)この方。インディ・ジョーンズ・ハット(笑)がお似合いでした!

コリントス遺跡

 

コリントス遺跡

 

つづく

冒頭写真:彫刻のある石の遺物、コリントス遺跡

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