アテネ(7日間)おすすめ観光(上)アテネ(7日間)おすすめ観光(中)の続きです。

実際の旅(6月頭)では、14時ごろ(明るい時間帯)にアテネ入りしました。

1日目:リカヴィトスの丘見学(夕方~夜にかけて)
2日目:国立考古学博物館、ゼウス神殿、ハドリアヌスの門の見学
3日目:アクロポリス、古代アゴラ、ローマンアゴラなどの見学
4日目:新アクロポリス博物館、ケラミコスの遺跡などの見学
5日目:デルフィ日帰り観光
6日目:エーゲ海1日クルーズ(3島めぐり)
7日目:アテネ・フリー観光
(無名戦士の墓、貨幣博物館(元シュリーマンの家)、アテネ自由散策)

参考になれば幸いです。

デルフィ、アテネからの日帰り公共バス旅

古代のギリシャ世界だけでなく、遠い異国の王たちにも信仰が厚かった聖地デルフィ。アポロン神殿の入口には「汝自身を知れ」という言葉が刻まれ、また「ソクラテスより知恵のある者はいない」との神託が下された有名な場所でもあります。遺跡群や博物館のコレクションもすばらしいですが、この地の雄大な自然、澄み切った空気に触れることで、ここが古代の大聖地であったことを深く感じることができるでしょう。

デルフィについて

遺跡のパンフレットから、一部引用させて頂きます。

デルフィのアポロンの聖域は、ファイドリアデス(※1)と呼ばれる二つの巨大な岩の間、パルナッソス山(※2)の麓に連なるひな壇状の地形に広がっています。ここは幾世紀にもわたり、古代ギリシャ世界の宗教的・精神的中心地でした。伝承によれば、デルフィは世界の地理的中心地、すなわちオンファロス「世界のへそ」であり、ゼウスが世界の中心を見つけるために、宇宙の果てから遣わした二羽の鷲(ワシ)が出会った場所とされています。

デルフィの地における最初の居住の痕跡は、ミケーネ時代(紀元前14世紀~紀元前11世紀)にさかのぼります。この時代、小さな集落で崇拝されていた主神は「大地」の神、ガイアでした。続く時代(紀元前11世紀~紀元前9世紀)には、アポロン信仰がデルフィに定着しました。アポロンはガイアの神託所を守っていた蛇、ピュトンを退治し、自らこの地に鎮座しました。紀元前8世紀から紀元前7世紀にかけて、デルフィの聖域が形成されました。最初の石造りの神殿は紀元前7世紀末に建てられ、一つはアポロンに、もう一つはアテナに捧げられました。

紀元前6世紀初頭、デルフィは共通の政治的目的を持つ都市国家連合であるアンフィクティオニアに加盟し、征服者から聖域を守りました。時が経つにつれ、デルフィのアンフィクティオニア同盟は、アポロン聖域の管理において重大な責任を負うようになり、紀元前582年にはピュティア競技会(※3)を再編成しました。その後、この競技会は、アポロンが怪物ピュトンに勝利したことを称えるため、4年に一度開催されました。

紀元前6世紀から紀元前4世紀にかけて、デルフィの聖域は繁栄を極め、ギリシャの都市国家や個人によって、アポロンに捧げられた数多くの奉納品や建造物で彩られていました。世界各地から、重要な決断や率先して行動を起こそうとするたびに、神の助言と神託を求めて、信者や神託を伺うために派遣された公的な使者(テオプロポイ)が集まりました。彼らはカスタリアの泉で身を清め、定めの供物(ペラノス)(※4)を納め、アポロンの祭壇で動物を犠牲として捧げました。神託は聖域の巫女(ピュティア)によって告げられ、アポロンの神官によって解釈されました。神託の正式な手続きは、紀元前6世紀に最終的な形となり、ハドリアヌス帝の治世(紀元2世紀)まで変更されることはありませんでした。

聖域への正門は、聖域を囲む壁の南東の角にありました。参拝者は、ここから聖なる道をたどり、聖域の中心にあるアポロン神殿へと向かいました。現在見られる遺跡からは、3つの建築段階が確認できます。最も新しいものは、紀元前373年から紀元前330年の間に行われたものです。聖なる道の左右両側には、ギリシャの都市国家が納めた奉納物が建っていました。彫像、複数の人物像からなる彫刻群、奉納物を保管するための神殿の形をした小さな建物(宝物庫)などです。

紀元前4世紀に建造された聖域内の劇場では、演劇や詩のコンテストが開催され、競技場では、陸上競技だけでなく音楽のイベントも開催されました。

アポロンの聖域の南東には、アテナ・プロナイアの聖域がありました。その中で最も重要な建造物は、…女神の2つの神殿と、紀元前380年頃に建てられた円形神殿(トロス)です。

デルフィ遺跡のパンフレットより 一部引用しざっくり和訳

(※1~4)について、自分なりにネットで調べてみました。

(※1)遺跡の背後にそびえる高さ300メートルの断崖絶壁。「輝くもの(輝く岩)」を意味する。
(※2)音楽と詩を司る神アポロンと芸術の女神たち(ミューズ)が住むとされた霊山。
標高2457メートル。
(※3)古代ギリシャの四大競技祭の一つ。
(※4)オリーブオイル、蜂蜜、小麦粉を混ぜ合わせて作られた伝統的な供物(小さなケーキのようなもの)

遺跡の見どころ

遺跡のパンフレットから、引用させて頂きます。
※図は、日本語を加筆し、見やすいように加工しています。

遺跡と博物館へのアクセス

遺跡や博物館へは「KTELバスのりば(終点)」から、そのまま車道(黄色)沿いに歩いていけます。道沿いに掲げられた世界各国の旗や、高台からの景色はすばらしく、楽しみながら歩けます。(下写真↓)

博物館・遺跡への道 デルフィ

 

遺跡群

I. アポロンの聖域

  1. ローマンアゴラ
  2. シキオン人の宝庫
  3. シフノス人の宝庫
  4. テーベ人の宝庫
  5. ボイオティア人の宝庫
  6. メガラ人の宝庫
  7. 世界のへその石(オンファロス)
  8. 宝庫(何人の宝庫か不明)
  9. クニドス人の宝庫
  10. ヘイロス(儀式が執り行われた円形スペース)
  11. アテナイ人の宝庫
  12. アスクレピオスの聖域
  13. ブーレウテリオン(会議場)
  14. シビュラ(巫女)の岩
  15. ナクソス人のスフィンクス
  16. アテナイ人のストア
  17. コリント人の宝庫
  18. アッタロス1世のストア
  19. クラテロスの奉納物
  20. カソティスの泉
  21. クニドス人のレスケ(休憩所)
  22. アポロン神殿
  23. アイトリア人の柱廊
  24. 劇場
  25.  ロードス人の戦車
  26. プラタイア人の三脚台(蛇の柱)
劇場からの景色 アポロンの聖域

 

II. ギュムナシオン

 

III. アテナ・プロナイアの聖域

 

デルフィ遺跡のパンフレットより(日本語を加筆し、見やすいよう加工しています)

※ギュムナシオン、アテナ・プロナイアの聖域は、落石などにより閉鎖されている可能性があります。その場合、道路からの遠望見学となります。

飲み水は、必ず携帯しましょう。

デルフィ考古学博物館

遺跡のパンフレットから、博物館の主な展示物などをご紹介させて頂きます。

デルフィ考古学博物館
全ギリシャの聖域、デルフィを彩っていた膨大な数の奉納品のうち、現存するものを収蔵しています。青銅の器、小像、彫像、神殿や宝物庫から出土した建築彫刻、そして金、銀、象牙などの貴重な素材で作られた小品などを展示しています。

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■聖域の始まりと初期の奉納物
ミケーネ文明の小像と幾何学様式期およびアルカイック期の青銅の奉納物:三脚の祭壇、東方から伝来したか、あるいは東方の影響を受けて制作された人物像や動物像(紀元前7世紀)、宝飾品、武器。ダイダロス様式のクーロス像(紀元前7世紀後半)。

■初期アルカイック期(大型彫刻 ― 最初の宝物庫)
アルカイック期のクーロス像2体(クレオビスとビトン、紀元前580年頃)。
シキオン人の宝物庫のメトープ(紀元前560年)。アルカイック期の宝物庫の屋根を飾っていたテラコッタ製の装飾。

■聖なる道の貯蔵穴(ちょぞうけつ)から見つかった宝物(※1)
アルカイック期の銀製の雄牛像、金と象牙で作られた3体の像の破片、象牙の板(紀元前7~紀元前6世紀)。

■シフニア人の宝物庫
ナクソス島のスフィンクス(紀元前560年頃)。シフニア人の宝物庫からの彫刻装飾(紀元前525年)。クーロス像とコレー像。

スフィンクス像 デルフィ考古学博物館

 

■アポロン神殿
アルクメオン家(※2)によって建立されたアルカイック時代の神殿の破風の彫刻群(紀元前510年、東側の破風にはアポロンのデルフィ到着、西側の破風には巨人族と神々の戦いが描かれている)と、紀元前4世紀の神殿の破風の彫刻群(東側の破風には三脚の祭壇に座るアポロンと女神ミューズたち、西側の破風には女性信者たち(テュアデスまたはマイナデス)に挟まれたディオニュソス・キタロドス(竪琴を奏でるディオニュソス)が描かれている)。翼を持つニケをかたどったアルカイック時代のアクロテリオン(神殿の破風の上の中央・両端を飾っていた彫刻)。アルカイック時代と古典時代のシマ(simas、建物の装飾も兼ねていた雨樋)。

■アテナイ人の宝物庫
テセウスとヘラクレス、それぞれの功業(偉業)を描いたメトープ(紀元前490年頃)。東側の破風やメトープ、アクロテリオンの彫刻、そしてアポロンに捧げられた2つの賛歌の楽譜が刻まれた直立石板(紀元前128年)。アポロンがお神酒を注ぐ様子が描かれた白いキュリクス(杯)(紀元前480年頃)。

■紀元前5世紀の奉納物
アテナ・プロナイア神殿の建物から出土した彫刻。青銅製の小像(ペプロスを着た女性をかたどった香炉台、フルート奏者、2人の運動選手など)と、大型の青銅像の遺物。建物のテラコッタ装飾(アテナ・プロナイア神殿、クニドス人の会館)。

■トロス
記念碑(紀元前380年)の建築部材と彫刻装飾の断片。

■後期古典期およびヘレニズム期の奉納物(紀元前4世紀~紀元前2世紀)
テッサリアのヒエロムネモン(古代ギリシャの宗教的・政治的な役職):ダオコスの一族の彫像群(紀元前336年~紀元前332年)。踊る娘たちの柱…(紀元前330年頃)。ディオニュソス像と男性、女性、子供像を伴う家族の奉納物(紀元前300年頃)。アポロンの座像(紀元前4世紀後半)。眠っているエロス(キューピッド)像、子供像2体。

■ローマ時代の彫刻(紀元前2世紀~紀元後2世紀)
アテナ・プロナイアの聖域から出土した円形祭壇(紀元前2世紀後半)。ピュドナにおけるマケドニア軍とローマ軍の戦闘シーンが描かれアエミリウス・パウルス(※3)の石碑のフリーズ(紀元前168年)。ヘラクレスの偉業が描かれた劇場のプロセニアムのフリーズ(紀元1世紀)。アンティノオス(※4)の祭祀像(紀元130~138年)。ローマの将軍フラミニヌス(※5)と思われる彫刻(紀元前2世紀初頭)。

■御者像
シチリア島ジェーラの僭主ポリザロスがピュティア競技会での勝利を記念して奉納した御者の青銅像(紀元前478年または紀元前474年)。馬と戦車の一部、および奉納銘文が刻まれた台座。

■聖域の終点
哲学者でありデルフィの神官であったプルタルコスを称えるヘルマ柱(西暦50~125年)。ローマ時代の肖像2点(西暦3~4世紀)。ローマ総督ガリオン(※6)の碑文(西暦52年)。

デルフィ遺跡のパンフレットより 一部引用しざっくり和訳

(※1~6)について、自分なりにネットで調べてみました。

(※1)火災で焼失後、紀元前5世紀半ば頃に、土中の穴へ埋められたもの。
(※2)古代アテネの名門一族。紀元前6世紀から紀元前5世紀、民主政の礎となる制度改革、ペルシャ戦争での活躍など、多大な影響力を持った。クレイステネス、ペリクレス、アルキビアデスなどがこの一族に連なる。
(※3)第三次マケドニア戦争の終結を決定づけた決戦でローマを勝利に導いた将軍。マケドニアの密集陣形(ファランクス)と、ローマ軍の柔軟で機動力に優れたレギオン(軍団)の戦術対決としても有名。
(※4)皇帝ハドリアヌスの寵愛を受けた美青年。ナイル川での溺死後、彼の死を深く悲しんだハドリアヌス帝により、神として崇めることが命ぜられ、多くの彫像が造られた。
(※5)第二次マケドニア戦争でマケドニア軍を破り、ギリシャのポリスを解放した軍人・政治家。ギリシア文化を愛し、聖域へ多大な寄進を行った人物としてデルフィで名誉を受けた。彫刻は、ローマで出土したコインの肖像と特徴が一致し、フラミニヌス本人とする説が有力視されている。
(※6)1世紀のローマ帝国の政治家。新約聖書の『使徒行伝』に登場するアカイア属州(古代ギリシャ南部)の総督。コリントでユダヤ人たちが「使徒パウロがローマ法に反する宗教を広めている」と告発した際、宗教的な内部対立と判断し、パウロを無罪放免にした。

館内見学の注意

1. 展示物の写真撮影は、かならず事前にルールを確認しましょう。一部に撮影禁止の展示物があります。(例:アルカイック期のクーロス像2体:クレオビスとビトンなど)撮影禁止のマークなどがわかりにくい場合、館員に尋ねても良いと思います。

2. 撮影可能な場合でもフラッシュは禁止です。

実際の見学で

撮影禁止の展示物を、誤って写真撮影してしまった観光客が館員に注意され、カメラのデータを削除するまで館員が見届けていました(恐らく、撮影禁止のマークが小さくあったのだろうと思いますが、ギリシャの考古学博物館はほぼ撮影がOKなことが多く、うっかり見過ごしてしまいがちです。注意しましょう)。

 

アテネからの行き方(公共バス)

リオシオン・バスターミナルから出発です(所要:2時間半~3時間)。一度、トイレ休憩が入りました。バスの時刻表はこちらです。

バス利用の注意点

1. リオシオン・バスターミナルには余裕をもって行きましょう。チケットを買い、トイレを済ませ、乗り場を確認して、バスを待ちましょう。

2. シーズンによっては、チケット窓口が混雑する場合があるようです。eチケットの購入を検討しても良いでしょう。時刻表HPからできるようです。(わたくし自身、eチケット使用の経験がなく、経験から情報を共有することはできませんが、ネットの情報によりますと「購入後、eチケットを印刷し、乗車時に運転手に提示する(公式ルール)」とあります。事前に現地バスターミナルやインフォメーションなどで、早めに確認をしておきましょう)

3. チケットは往復分、買っておきましょう(アテネ行きバスのりば周辺に、チケット窓口らしい(?)建物はありましたが、無人でした。もしかしたら、観光シーズンのピーク時は窓口が開くのかもしれませんが、確実ではありません)。不明な点があれば、リオシオン・バスターミナルのチケット窓口で確認しましょう。

4. チケットの紛失には気をつけましょう。乗車後、車内で検札があります。

 

エーゲ海1日クルーズ(3島めぐり)

アテネから日帰りで、イドラ島、ポロス島、エギナ島の3島をめぐるツアーに参加しました。限られた旅程の中で「1日3島めぐり(昼食付)」はなかなかお得なツアーかと思います。個人旅の自由さと比べてしまうと窮屈な感じは否めませんが、しかしながら、お手軽に!お得に!クルーズが楽しめる!という点にフォーカスして体験してみました。

3島について

まずは、パンフレットより各島について、ざっくり引用します。

イドラ島
…小さいながらも数ある島の中で、歴史的にひときわ重要で風光明媚な島です。…イドラ島の伝統的建築は、現代の介入の波に触れられていません。…島の趣ある石畳の路地は、皆様に感銘を与えることでしょう。この路上に車両乗り入れは禁止で、交通手段はロバだけです。路地を散策すれば、歴史の深い教会や砦の屋敷がご覧になれます(これらは、イドラ島がギリシャの独立戦争に重要な役割を担った証です)。…

■ミニアドバイス ロバの背に振られ、美しい路地の散歩を堪能しましょう!

イドラ島

 

ポロス島
…島に近づくにつれ、目を引くのが島の頂点にある時計です。1927年築の時計台は、島のどこからでも見えるポロスの町の宝石です。陸へ到着した後は、周囲に溢れるばかりの自然美と、静寂に身を任せてください。急な断崖の海岸や砂浜まで広がる松林や、島を包む緑は、ポロスが「ロマンスとくつろぎの島」と知られている由縁です。ポロスの町(ホラ)の散策では、市役所、考古学博物館、市立図書館 、文化展示ホールがご覧になれます。家々は石灰で真っ白に塗られ、趣ある路地はショッピング専門店で一杯です。

■ミニアドバイス 歴代の時計台から、対岸の浜辺や港の絶景を楽しみましょう!

ポロス島

 

エギナ島
…サロニコス湾最大の島であり、名前は、神々の父ゼウス(※)の心を奪った(古代神アソボスの最も美しい娘) ニンフ(精霊) 「エギナ」の名前に由来します。この恋の遠い子孫は、トロイ戦争の英雄アキレウスとなりました。エギナ島は、数多くのギリシャの歴史的局面において重要な役割を担ってきました。紀元前480年には、ペルシャとの戦争で侵略者打倒の一助となりました。1821年のトルコからの独立戦争では、戦略上重要な地理的位置により、ギリシャ革命軍の必需品補充の重要な中間地点となりました。そして1826年、近代ギリシャの建国では、新国家の初の首都となりました。

エギナ島の名物と言えば2つ: エギナ島産のピスタチオは、品質・ 風味とともに世界的に有名です。そして、風光明媚な浜辺です。夏は、島の美しい浜辺で海水浴をご堪能いただけます。また(オプショナル・ツアーでは)エアコン完備の観光バスで、島の古代アフェア神殿や聖ネクタリオス教会へのツアーをお楽しみいただけます。

アフェア神殿はエギナ島の北東地域にある松林の茂る丘の頂上に君臨し、重要な建築物とされています。神話によると、精霊アフェアは、クレタの伝説の王・ミノアに追い詰められ、海に身を投じたところを漁師に助けられ、エギナ島に連れて来られたとされています。そして現在神殿の聖堂がある位置で、彼女は消えたとされています(アフェアとは、古代ギリシャ語で「見えなくなったもの」の意味)。

アフェア神殿 エギナ島

 

晴れた日には、アフェア神殿から、スニオン岬のポセイドン神殿とアテネのアクロポリス神殿が望めます。3つの神殿(の位置をつなげると)、正方形の三角形を形成します(…「聖なる三角形」といわれています)。

ビザンチン時代の聖ネクタリオス教会と修道院には、同聖人の…お墓や聖遺骨があり、現在も毎日のように信者が祈りを捧げに訪れます。

■ミニアドバイス 聖ネクタリオス修道院から望む、住民が海賊の襲撃を逃れた対岸の旧市街の形跡に注目してみましょう!

ツアー・パンフレットより  ざっくり引用

(※)パンフレットにはジュピター(ローマ神話の最高神)と記載がありましたが、一般に、ネット上でヒットするニンフ:エギナにまつわる神話と複数照らし合わせたところ、「ゼウス」の誤りの可能性が高いと判断し訂正させて頂きました。

ツアーの申込み

ガイドブックやネットの旅行サイト、現地の旅行代理店、現地の宿泊ホテルなどから申し込めます。インフォメーションで尋ねるのも良いでしょう。観光シーズンは、事前に予約をした方が良いかもしれません。

実際の旅で

アテネの町を散策中に、偶然、旅行代理店を見つけ申し込みました。宿泊ホテルの名前とルームナンバーをきかれます。その場で係員がホテルに電話して宿泊を確認していました。ホテル→港、港→ホテルの送迎付きでした。(6月頭ごろ)

宿泊ホテルのロビーにも、1日クルーズのパンフレットがありましたので、ホテルで申し込みをしても良かったかなと思います。

 

実際に体験したツアーの流れ

当日の朝、指定された時刻にホテル玄関前で待機。送迎車がピックアップしてくれます。参加者全員の宿泊ホテルに寄った後、港へ。

最初の目的地は「イドラ島」。到着するまでに、オプショナル・ツアー(エギナ島のアフェア神殿の見学など)の参加募集のアナウンスがあり、希望の場合はその場で申し込みます。代金を支払うと手首にバンドを付けてくれます。なくさないようにしましょう。

          

イドラ島到着。港周辺を散策。大人しいロバたちや、かわいらしい石畳の小道を散策。

次の目的地は「ポロス島」。到着前に昼食をいただきます。

ポロス島到着。滞在時間は短かめです。頂上の時計台を目指し、絶景を堪能。

次の目的地は「エギナ島」。到着後、オプショナル・ツアーの参加組はバスに乗車。アフェア神殿見学後、ピスタチオとピスタチオのアイスクリームを購入。続いて修道院見学へ。

船に戻り、アテネへ。船内はダンス・ショー会場に早変わり(最後は乗客も踊りに参加してノリノリ~)。

アテネ到着。送迎車でホテルへ。1日クルーズの旅は終了。

 

島をめぐる順番など、予定が変わる場合もあるようですので、一つの例として、参考にして下さい。

注意点、気づいたこと

1. 1日クルーズの乗客証としてバッチ(カード)のようなものが配られます。船に戻る際、その都度、係員に見せての乗船となりますので、なくさないようにしましょう。

2. 時間厳守となりますので、余裕を持って船に戻りましょう。腕時計も正確に時間を合わせておきましょう。

3. クルーズの係員の顔を、ある程度、覚えておいた方が良いかもしれません。イドラ島で、船に戻ろうとしましたが、船が消えていました。焦りましたが、そばに係員の方がいらっしゃるのに気づき、パニックにならずに済みました。狭い港だと船は場所を空けるため、一時的に移動するそうです(船の形や色なども忘れないようにしましょう)。

4. 船の中で暇な時用に、絵はがきや日記帳、本などを用意しておくのもよいかもしれません。

5. 空腹で乗船するのは避けましょう(食べ過ぎもおすすめしませんが、朝、何も食べないで船に乗ったところ、船酔いしてしまいました💦)。

 

●冒頭写真:デルフィの雄大で神秘的な景色(霧のはるか遠くにかすむのは、コリンティアコス湾)