以下は、「女ひとり旅日記 リンドスのアクロポリス 第3弾」です。第1弾はこちらです。
古代の人々の記録
アクロポリスの最初の中央階段を上がると、ストアの柱群の他に、石のかたまりがあちこち残っているのが見える。神への奉納、そして市民から称えられた古代の偉人たちの記録が刻まれている。
いくつか見てみよう。
神への奉納者リスト
アテナ、ゼウス、ニケ神(?)への3つの黄金のリースの奉納者リスト
紀元前115年頃75家族を代表する、推定約185人の奉納者リストが残っています。 チョーゴイ(choregoi=スポンサー)は、聖域の神々:アテナ、ゼウス、ニケ神(?)の彫像のために3つの黄金のリースの制作費の一部を寄進することになっていました。 現存している碑文には、金額は1455ドラクマと記されています。一方で、全体の支出は4000ドラクマを超えると推定されています。 ・・・このような大規模な神々への奉納は、・・・歴史的に重要な出来事の後に行われたのかもしれません・・・
展示ボードより 一部引用し和訳
都市に貢献した人々の彫像の台座
ディオファンテスの息子ゼノドトスとその孫(同名)を称える彫像の台座
紀元前100年頃台座には、ディオファンテスの息子ゼノドトスとその孫(同名)の銅像が建っていました。 碑文によると、それはリンドスの人々によって彼らに与えられた栄誉の一部であり、祖父ゼノドトスは、都市リンドスへの奉仕と、神殿の神々の像を飾るため、3つの黄金のリースの制作に貢献し称えられました。・・・リンドス市民である・・・孫もまた、同じ理由でリンドスの人々から敬われました。 紀元前64年には、彼はアテナ神殿の司祭を務めました…
展示ボードより 一部引用し和訳
司祭パンテイオスとその妻アンティパトラを称えた彫像の台座
紀元前27年紀元前27年、リンドスの人々は、ダモソンの息子、アテナとゼウス神殿の司祭であるパンテイオスと、その妻であり、ニーカシマチョスの娘である、リンドス市区:brasioiの名高い貴族出身のアンティパトラの像を建て敬いました。
台座の正面と右側面に刻まれた碑文によると、2つの像は、アテナ、ディオニソス、アポロン、サラピス、アルテミス、ポセイドン、リンドスなどの司祭からの寄付で作られました。 そして、チョーゴイ(資金提供者)には、(以下、役職名)エピスタタイ、グラマタイズ、ハエロテイミアイ、エピスコポイ、ロジスタイ、プラクトライ、ストラテゴイ、ハエロサイタイ、アゴノテス一人、ケリックス一人とマストロイ、リンドスの12の市区出身の議会のメンバーを含んでいました。
展示ボードより 一部引用し和訳
海戦勝利の奉献物(ex-voto)
船の船首の形をした、ニケ神の奉納像の台座
紀元前265-260年台座の上部に残っていた碑文によると、ニケ神像は、勝利した海軍作戦に参加した6隻の軍艦(トリエオミオリア)の士官と乗組員によって捧げられたアテナ神への奉献物(ex-voto)でした。 碑文の冒頭で述べられた指揮官の名前に加えて、奉献には、288人のロードス市民と外国人の名前が含まれていたと推定されています。
奉納者の一人は、ポリアラトスの息子:三段オールのガレー船船長のアガソストラトスでした。 紀元前258年に・・・デロス島の聖域に像が建てられ、敬われました。それはハリカルナッソス出身の彫刻家:ファイオズ(phyles)の作品で、ロードス艦隊の提督として、エフェソスの海戦の彼の勝利を記念したものでした。
展示ボードより 一部引用し和訳
現在のニケ神像の台座、ほぼ残っていない状態。
今は昔・・・
数えきれないほどのたくさんの奉献物は、残念ながら台座が残るのみ。彫像のレプリカはない。かろうじてニケ神像の写真がボードにあったのみだった。それでも、台座に刻まれた碑文のおかげで、2000年以上前の人々の足跡がこうして残っている。
2000年前かぁ・・・
気が遠くなる。
・・・気がつけば、太陽は真上に登っていた。
意識を今にフォーカスする。
暑い!
まだ見ていない石の遺物は残っていたが、とりあえず気分を変えて、アテナ神殿を目指すべく、さらに大階段を上がって奥へ進むことに決めた。
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