ライオンの軒飾り
ライオンの樋嘴(ひはし)のある軒飾り。屋根の雨水を、ライオンの口から排出させるしくみである。
ライオンの顔は写実的に描かれている。その下に展示されているのは、彩色された軒飾り。こんなにも細かい模様を手書きで描いていたのか、と圧倒される。
こちらは、彩色されたアンテフィックス(屋根瓦の端飾り)。手描きバージョンがあるとは意外だった。
ライオンの軒飾り 2
ライオンの顔が、恐ろしい表情にデフォルメされている。目はカッと見開かれ、鼻は短くなり、口元の湾曲が増している。雨水は、よりスムーズに落ちていきそうだ。
けっこう怖いライオン。
こちらは、プロピュライア(聖域の前門)。紀元前280年頃のもの(部分)。
(写真上のライオンのズーム) 口元の両サイドは歯で閉じられ、横から雨水が漏れないようになっている。
(同上)
アスクレピオス神殿の軒飾り
こちらは、アスクレピオス神殿のもの(部分)。
あれ? こちらのライオン、笑ってる?! (なーんてね)
さっそく、展示ボードを見てみよう。(一部引用し、ざっくり和訳)
アスクレピオス神殿
聖域の中心的建造物であったアスクレピオス神殿は、紀元前370年頃の建立、紀元後4世紀以降に火災で焼失。 残された碑文には、建設の段階や、費用、施工責任者の名前(建築家:テオドトスを含む)など、建物の建設に関する重要な情報が記されていたそうだ。
この神殿は、1882~1883年にパナギオティス・カヴァディアスによって発掘され、建物上部の一部が、エピダウロス博物館で展示されているとのこと。…
神殿は、ドーリア式の周柱式神殿 (長さ24.36m) で、短辺に6本、長辺に11本の柱があり、基壇は3段で構成され、入り口は東側からのスロープになっていたそうだ。また、神殿にはオピストドモス(神殿の奥にある宝物などを保管する後室) はなかったとのこと。柱廊の列柱はプロナオスと内室をとり囲み、 アンタ(神殿入口の両側にある壁端柱)とプロナオスの間には、さらに2本のドーリア式柱があったとのこと。 内部がコリント式の列柱に取り囲まれた内室へは、パロス島の彫刻家:トラシュメデス作の壮大な入り口を通過、すると、そこには同じくトラシュメデス作の、金と象牙で作られたアスクレピオスの彫刻像が安置されていたという。彫刻像の姿は、古代の旅行家パウサニアスの視察や、エピダウロス市の古代硬貨の図柄から得ることができ、玉座についたアスクレピオス神は、片手を杖に、もう片方の手を蛇の頭に乗せ、隣に犬が座っている姿だったそうだ。玉座自体は神話の場面で装飾されていたという。内室の床には、地下の長方形の部屋(宝物庫)への開口部があり、そこには聖域の貴重な品々や奉納物が保管されていたそうだ。
神殿の東側の破風は「トロイの陥落」、西側の破風は「アマゾノマキア(ギリシャ人とアマゾン族との戦い)」が描かれ、また、建物上部を飾った彫刻(フィニアル)には、馬に乗ったニケと女性(涼風が擬人化されたオーラ)の姿が描かれたそうだ。 2人の重要な彫刻家、ティモテオスとヘクトリダス(hektoridas)が、神殿の彫刻装飾に関連して言及されているそう。…
神殿の建設に使用された石材は、 poros stoneと白と黒の石灰岩で、彫刻にはペンテリコン大理石を使用、天井と開口部は貴重な素材(黒檀、象牙、銀、金)で作られていたとのこと。 建物の一部は塗装され、復元された軒先には色の痕跡が残っているそうだ。
神殿は、基壇の基礎部分のみが原位置で保存されている。 現存する神殿の建築部材のうち、いくつか最良のものは、発掘者が博物館で部分的に復元する際に使用、現存する彫刻はアテネの国立考古学博物館に展示されているそうだ(石膏のコピーが、エピダウロス考古学博物館に展示されている)。 神殿の南側と東側に沿って多くの奉納台が、また、基壇の周りから神殿の正面まで続き、祭壇や聖域の他の建物へと通じる石畳の通路の一部が、保存されているとのこと。
エピダウロス考古学博物館 展示ボードより(一部引用し、ざっくり和訳)
アルテミス神殿の軒飾り
こちらは、アルテミス神殿のもの(部分)。紀元前330~300年頃の建立だそうだ。また軒飾り?!と思うところだが、よーく見て欲しい。何かが違う。
そう、顔が違う(笑)。
展示ボード(↓)によると、ワンコの樋嘴(ひはし)だそうだ。
「へぇー、珍しいな…」と思って見ていると…「あれ? なんか1匹、顔が違う?」
なんと、隅にあるのは、イノシシの樋嘴(ひはし)だった。
アルテミスは狩猟の女神でもあるので、お供の猟犬と獲物のイノシシの顔が設置されたのだろう。粋な計らいである。
こちらは、アルテミス神殿の上部を飾った彫刻(フィニアル)
碑文 2
エピダウロスの聖域では、会計に関する多くの記録が発見されているそうだが、展示ボードによると、こちらの石碑には、トロス (紀元前365~335年) の建設費用が記載されているそうだ。発見された場所は、アスクレピオスの浴場で、なんと「敷居」として再利用されていたとのこと!
こちらは、展示ボードによると、アスクレピオス神殿 (紀元前370年頃) の建設費用を記録した石碑(一部分をズーム撮影)。神殿の東側で発見されたそうだ。
こちらは、ユニークな装飾が目を引く石碑(部分)。
彫られた文字も美しい。
展示ボードによると、こちらはマルクス・ユリウス・アペラス(Apellas)の治癒過程が記録された大理石の奉納石碑で、西暦150~200年、または120~160年頃のものだそうだ。
消化不良に苦しんだカリア(小アジア)出身の彼は、アスクレピオスの強い勧めを受け、ここ、エピダウロスに旅し、自身が受けた(食事、運動、自然療法が含まれた)治療による治癒過程の詳細と、アスクレピオスへの感謝の意を表わしたという。
パンとチーズがベースの食事には、セロリとレタスを混ぜたものを添えなければならず、 水を混ぜたシトロン(レモンに似た果物)ジュースや、蜂蜜を混ぜた牛乳も飲まなければならなかったそうだ。 また、彼の入浴には、クレイ・セラピーがセットになっていたという。運動には、ランニング、ウォーキング、聖域内の図書館での勉強が含まれていたが、勉強は頭痛を引き起こしたという。 彼の治療法には、ワインで体を濡らし肌を滑らかにしたり、マスタードと塩をこすりつけ血流の増加を促したり、頭痛に対してはオリーブオイルと一緒にディル(ハーブの一種)を摂取することも含まれていたそうだ。
その他の石碑(部分)。
トロス
こちらは、聖域内に建てられた円形の建物:トロスの復元図(および入口)。
上写真の拡大(↓)円内(ピンク)の部分が復元されている。
写真上(↑)の復元されたトロスの入口部分
下写真の右:トロスの天井の格間(ごうま:天井を覆う装飾)
上写真(↑)の左:コリント式柱頭。こちらは、アスクレピオス神殿とモニュメントの間で発見され、古代人によって丁寧に土中に埋められていたそう。これはポリクレイトスによるオリジナルの原型、つまり古代人が「パラデイグマ」と呼んだものと考えられており(それを手本にして)全てのトロスのコリント式柱頭が形成されたそうである。
おまけ
こちらのプロピュライアの装飾を不思議に思った。花と…牛の頭(?)だろうか?
以前、ロードス島の考古学博物館で見かけた、葬儀祭壇に彫刻されていた牛の頭とそっくりで、一瞬ギョッとしてしまった。
・・・ ・・・ ・・・ ・・・
さて、館内の涼しさに、すっかりリフレッシュしたわたしであったが、博物館見学も終わり、いよいよ灼熱の遺跡見学を再開すべく、気合を入れ直すのであった。
冒頭写真:エピダウロス考古学博物館内にて