受付嬢からギリシャ語指導!?
入館し、さっそくチケットを購入しようと…
ヤーサス!(こんにちわ!)
エナ・イシティーリア、パラカロ。(チケット一枚お願いします)
と、博物館の受付嬢に申し出たところ、彼女は最初、驚いた顔をしたが、すぐに笑ってわたしのギリシャ語が間違っていることを教えてくれた。
正しくは、「エナ・イシティーリオ、パラカロ」だという。
なんと、イシティーリアは、チケットを意味する単語の複数形だったのだ。その複数形の単語の頭に、わたしは「一つ」を意味する「エナ」を付けていたのだ!
つまり、わたしは今まで
「一枚の、複数チケットお願いします」
と、訳の分からないことを言い続けてきたのだった。
ガガガァァアアーーーーーーーーンンン!!!
今までの、さまざまな場面が走馬灯のように、頭の中を駆けめぐった。
たしかに、そうだったー!
チケット購入時には、必ず枚数を確認されていた。ギリシャの人々は優しかったのだ。そして、枚数を確認されるたびに、わたしは「1枚です」と言い直し、同時に、人差し指で「1」を示した。そうすると「一枚ね」と、笑ってチケットを差し出してくれたのだった。
マズかったのは、ギリシャ初日、空港からピレウス港行きの、バスチケットを購入した時の係のおじさん…。ちょっとピリピリしていて、何か嫌なことでもあったのかな、と思ったのだった。
わぁー、ごめんなさーい💦
わたしは、スペイン語のように、いつのまにか単語の語尾をキレイに母音の「ア」(エナ・イシティーリア)にそろえていたのだった(トホホ…)。
しかしながら、ここで親切な彼女に誤りを指摘してもらい、本当に、良かったと思った。彼女にお礼を述べ、大切な教えを胸に、わたしは博物館見学をスタートさせたのだった。
集落から都市(ポリス)への発展
館内の展示ボードを引用します。
テサロニキのToumba
現在「Toumba」と呼ばれている…テサロニキのその場所は、テルマイコス湾東部で最も重要な、青銅器時代(紀元前3300〜1100年)と鉄器時代(紀元前1100〜700年)の集落でした。
紀元前2200年から紀元前315年頃の、テサロニキの創設まで人が住んでいました。
先史時代において、途切れることなく続いた住居は、集落の形を高さ23メートルの丘にしました。展示ボードより一部引用/和訳
紀元前11世紀から、集落は近くの高原にまで広がりました。
紀元前9世紀には 、集落は墓地から分離し、それは、初期都市形成の初段階であると考えられています。
そして、紀元前8世紀における、物品の管理とスペースの割り当ては、小さなポリス(都市)への発展を示しています。丘の頂上には、その土地の領主が所有する…建物の複合体がありました。そこには、穀物や液体類の貯蔵サイロと、危急の場合に住民が避難するためのスペースがありました。
展示ボードより一部引用/和訳
下の復元図では、茶色の部分に壺が描かれており、そこが貯蔵サイロを示すようだ。
Toumbaのエリアは、Karabournakiやテサロニキの商業地区で発見された他の集落とともに、アルカイック期と古典期にThermiに発展した可能性があります。古代の作家たちにより、それはテルマイコス湾の重要な都市として、記述されています。
展示ボードより一部引用/和訳
Kastanasのtoumba
Kastanasのtoumbaは紀元前3千年紀から有史時代まで人々が住んでいました。古代ではアクシオス川の河口にある小さな島でしたが、今日では、堆積土砂の蓄積により、川岸にあります。
集落の形は、紀元前10世紀から8世紀の間に定まりました。狭い通りで区切られた、多くの部屋数を持つ建物は、アーバン・ネットワークの設計の証であり、小さなポリス(都市)の創設を示すものです。
展示ボードより一部引用/和訳
B.Hanselによる鉄器時代の家の復元図。
広さは12×15メートルで、少なくとも12の部屋がありました。 明らかに、一世帯ではなく、もっと大人数のグループで住んでいました。 平らな屋根は住民共有のもので、階段で上がれました。
展示ボードより一部引用/和訳
上図のB.Hanselによる復元図では、梯子(はしご)が描かれていますが、博物館の説明は「階段で(by staircases)」とあるので、そのまま訳しています。
アクシオス川をグーグルマップで調べてみると、ヴァルダル川という名前で載っています。テサロニキの西方でエーゲ海に達する川で、ちょうどヴェルギナへ日帰り旅行に行った際、バスの車窓から見えた川の一つが、アクシオス川(ヴァルダル川)だったようです。
Kastanasはアクシオス川を少しさかのぼった所にある、村の名前のようです。
冒頭写真:博物館エントランス前に展示されていたレリーフ
テサロニキ考古学博物館の詳細(パンフレットなど)はこちらです。