首なし

こちらは、何の建物だろう? 入口には、頭のない彫像が立っている。

コリントス遺跡

 

ハロー! ヤーサス!(笑)  

コリントス遺跡

 

上写真のズーム(↓)よーく見てみると…

コリントス遺跡

 

胴体に、首をはめ込む「穴」が開いている。

※(コリントスでは、このような彫像をたくさん見かけた。後日、自分なりにネットで調べてみると…)当時、彫像の胴体と頭部を分けて作ることで、制作の効率を上げていたようだ。また、彫像の持ち主が亡くなった場合、首のみをすげかえ、胴体はそのまま再利用することも少なくなかったそうだ。

ヒローン

ベマ近くに見逃していた遺跡「ヒローン」があったので、紹介します。

コリントス遺跡

 

展示ボードによると…

ヒローン(英雄の墓/聖域):古代コリントス初期の聖域

後にフォロ・ロマーノのベマが建設された丘の中腹、そして、アクロ・コリントスへと南下する道路沿いに、幾何学様式時代(紀元前1050年~紀元前720年)に墓地が造成されました。

その後、初期コリントス時代(紀元前620年~紀元前590年)に、その墓の一つが略奪されました。それは、身長172cm、年齢40~45才の関節炎を患う男性の墓でした。この略奪が直接の原因で、信仰活動が始まりました。おそらくですが、コリントス市民は墓の略奪による汚れを恐れたのです。

数年後、中期コリントス時代(紀元前590年~紀元前570年)には、お墓(72-4番)に小さな長方形の屋外囲いが築かれました。そのポロス壁の高さは、目の高さよりわずかに高い程度まで復元されています。

テメノス(聖域)内部から発見された様々な貴重な奉納物は、死者が英雄として崇拝されていたことを示唆しています。

テメノスは紀元前146年にコリントスが破壊されるまで使用され続けました。後のフォロ・ロマーノの舗装工事によって損傷を受けています。

展示ボードより (ざっくり和訳)

※わかりにくいが、壁で囲われた長方形のエリアが「テメノス(聖域)=ヒローン」を意味するようだ(自分なりにネットで調べたところ、テメノスは「聖域、神域」を意味する古代ギリシャ語、とのこと)。

上写真の拡大(↓)

コリントス遺跡

 

上写真(↑)左側に立つ石壁が、一部復元された長方形の屋外囲いのポロス壁であり、聖域内(具体的には、地面の色の違う部分)に幾何学様式時代の英雄のお墓がおさまっていた。

ピレーネの泉

それでは、次の目的地「ピレーネの泉」へ行ってみよう。

コリントス ピレーネの泉

 

遺跡地図(↑) レカイオン通りの前門付近、東側にあるクローバー型の風変わりな形の泉(地図の日本語は加筆しています)。

下写真:ピレーネの泉を真横から見た所

コリントス遺跡

 

泉の正面が見えてきた。

コリントス遺跡

 

カメラをズームしてみるも、アーチの中は暗く何も見えない。

コリントス遺跡

 

壁のニッチ(窪み):彫像が飾られていたのだろうか?

コリントス遺跡

 

プレート前にたどり着いた。

コリントス遺跡

 

上写真の拡大(↓) アーチの奥に見える取水室の柱。

コリントス遺跡

 

こうして写真で見ると、中へ入って行けそうに見えるが、立入り禁止。

コリントス遺跡

 

さあ、ここがベスト・ポジション! すばらしい眺め。

コリントス遺跡

 

上写真の拡大(↓) ぼんやりと見える取水室の柱。

コリントス遺跡

 

アクロ・コリントス山と。

コリントス遺跡

 

当時の優雅な雰囲気が残る外観も良かったが、ここで最も感動したのが、下の方から、勢い良く流れる水音が聞こえてきたことだった。思わず、辺りを見渡すも、見えたのは乾いた土と遺跡の石のみ。しかしながら、はるか昔から変わらぬ水音、そのほとばしる力強さに、心打たれた。これだけの都を支えた豊かな水…

すごい…!

それでは、展示ボードを見てみよう。

ピレーネの泉は、古代ギリシャ・古代ローマの両時代において、コリントスの都市景観における最も重要な場所の一つでした。

この地域では、新石器時代から人間の活動が認められ、水管理の最初の試みは幾何学様式時代にまで遡ります。

この施設は、アルカイック時代以降、徐々に整備され、紀元前2世紀までにはフォロ・ロマーノの地下数百メートルに掘られた水路から、3つの汲み池へと水が供給され、それらが6つの部屋につながっていました。水は4つの巨大な貯水池に貯蔵されていました。

ピレーネの泉は、ローマ植民都市:コリントスの設立後に再建された、最初の建造物の一つです。この段階では、泉は大きな長方形の中庭に設置されており、ファサードは、初期の前室を取り囲むアーチの間にドーリア式の半円柱が並んでいました。2階は、イオニア式の半円柱が組み込まれた堅固な壁でした。ドーリア式とイオニア式の…柱廊は、中庭の東西の壁も飾っていました。中央のくぼんだ長方形の部分は、幅の広い短い階段で行き来できる水汲み場でした(貯水池ではありません)。水汲み場の側面にある吐水口には、中庭の床下を通る大きな導管が接続されていました

初期の建築がおそらく地震によって部分的に破壊された後、東西のアプス(半円形に張り出した部分:後陣)が古代末期に増築されました。ファサード前にある再利用された大理石の柱とそれらの装飾…はビザンチン様式の増築です。数世紀後には地盤が隆起し、中庭には小さな礼拝堂と墓地が建てられました。泉と中庭が完全に埋もれた後も、泉は、村や多数の井戸に水を供給し続けました。

神話には泉の起源が2つ残されています。1つは、ポセイドンの恋人:ピレーネが、アルテミスに誤って息子ケンクリアスを殺されてしまったときに、文字通り、涙に溶けてしまったというものです。もう1つは、英雄ベレロフォンに馬勒(ばろく)をつけられ、怒りで足を踏み鳴らした翼のある馬:ペガサスの蹄跡が泉の起源であるというものです。

展示ボードより 一部引用し、ざっくり和訳

※(自分なりにネットで調べてみると…)ベレロフォンはコリントスの英雄、アテナ神の助力を得てピレーネの泉でペガサスを捕獲し、リュキアの魔獣:キマイラ退治に赴いた(これは、ティリンス王の妃による策略が元で、ベレロフォンを亡き者にしようとした作戦の一つ。こちらにペガサスに跨り、キマイラと戦うベレロフォンのモザイク床がある。ペガサスは「父:ポセイドンからの贈り物」という説もある)。

その他

こちらは、ピレーネの泉近くの建物。よく残っている。

コリントス遺跡

 

こちらも泉近くにあった彫刻の遺物。船を漕ぐ人。印象深い。

コリントス遺跡

 

つづく

冒頭写真:ピレーネの泉、コリントス遺跡