ひとり旅日記 ギリシャ

女ひとり旅日記 コリントス 北西の商店群ほか ギリシャ旅182

フォロロマーノから見えた景色

北側:アポロン神殿

コリントス遺跡

 

北西側:左手奥にちょこっと見えるのは、グラウケの泉

コリントス遺跡

 

(上写真の拡大↓) ピンクの円内、古代のトイレに似ている…?!

コリントス遺跡

 

南西側:アクロ・コリントス山がそびえる

コリントス遺跡

 

東側

コリントス遺跡

 

コリントス遺跡

 

そして、北東側:アーチ形の建物が見える。

行ってみよう!

コリントス遺跡

 

北西の商店群

この建物は、遺跡の地図でいうと、アポロン神殿の南側にある建物の一部にあたる(地図の日本語は加筆しています)。

コリントス 北西の商店群

 

フォロロマーノ全体から見て北西側にあるため「北西の商店群」と呼ばれている。

コリントス遺跡

 

以下、写真4枚:屋根が残っていない部分の店舗跡(奥はアポロン神殿の柱)。

コリントス遺跡

 

コリントス遺跡

 

コリントス遺跡

 

コリントス遺跡

 

(上写真の拡大↓)どんなことが書かれているのだろう?

コリントス遺跡

 

そして、たどり着いたのはアーチ形の屋根が残る店舗跡。

コリントス遺跡

 

よくここだけアーチが残っていたな…と思うも…。

コリントス遺跡

 

よく見ると、レンガのようなもので補修されているのかな?

コリントス遺跡

 

別アングルから。

コリントス遺跡

 

店舗の中

コリントス遺跡

 

遺跡のプレート「NORTHWEST SHOPS」と書かれている。プレートは目立たないので、見学者は見落とさないよう気をつけたい。

コリントス遺跡

 

アーチ形の店舗跡から振り返ったところ。後ろにはアクロ・コリントス山がそびえる。

コリントス遺跡

 

アーチ形の店舗跡:別アングル

コリントス遺跡

 

アーチ形の店舗前から西方面を眺める(奥の建物は考古学博物館)

コリントス遺跡

 

写真を2枚つないでみました。

コリントス遺跡

 

アポロン神殿の南側周辺(聖なる泉を含む)

フォロロマーノから見た、さらなる北東側に広がる光景

コリントス遺跡

 

教会をズームで撮影。

コリントス遺跡

 

石臼のような変わった形の石。

コリントス遺跡

 

ほとんど土台だけになってしまった建物群。

コリントス遺跡

 

…と、ここで「SACRED SPRING(聖なる泉)」のプレートを発見。

コリントス遺跡

  

ここです!(笑↓)

コリントス遺跡

 

聖なる泉は、遺跡パンフレットの地図には出ていないが、現地では展示ボードが設置されていた。さっそく、見てみよう。

聖なる泉は、公共の水源としてではなく、聖域として存在していました。

この複合施設は、紀元前8世紀初頭からヘレニズム時代までの長い間に、大規模な改築が幾度となく行われた歴史的建造物です。元々は簡素な泉の建物でしたが、紀元前6世紀後半に改築されました。

下層階は、内部に支柱のある泉の地下施設と3本の柱を持つファサードで構成されています。下層階から上に上がるにつれファサードは閉じられ、上のテラスから階段で泉に行くことができました。泉の前には広場があり、土の祭壇と木製の観覧席が設けられていました。この下の階は、トリグリフとメトープの壁によって上のエリアと仕切られていました。

上のエリアには、小さな半円形の後陣を持つ建物があります。建物の下から見ると、3本の柱で構成されたファサードや下方の泉と視覚的なつながりが生み出されました。トリグリフとメトープの壁に設けられた隠し扉によって、水路と狭い空間が、半円形の後陣を持つ建物と下層空間を物理的に繋いでいます。

この場所はおそらく行列、生贄、演劇、音楽、舞踏に用いられたと考えられています。ある学説では、泉、半円形の後陣を持つ建物、そしてその上にあるアポロンの神殿を神託信仰と結びつけています。

近年では、アテナ神殿でドーリア人によって火刑に処されたティマンドロスの4人の娘の一人、Kotyto(コテュト?)がここで追悼されたのではないか、という説もあります。彼女の祭典では、若い男たちが女装して乱痴気の踊りを披露しました。水中での浸礼、あるいは入信儀式もその一部でした。

トリグリフの壁の西端には、リュシッポス・エポイエセン(Epoiesen)、あるいは「リュシッポスが作った」と刻まれた像の台座があります。リュシッポスは近隣の都市シキュオン出身の彫刻家で、ヘレニズム時代とローマ時代に世界的な名声を得ました。

展示ボードより(ざっくり和訳)

展示ボードの文章だけでは、なかなか聖なる泉のイメージがわきにくいが、二千年以上経った今の現状からは想像できないほど立派な施設だったことは、何となく伝わってきた気がした。

「トリグリフとメトープ」とは、下写真のピンク円内の装飾(3本の棒と四角いパネル部分)のことである。水路用の隠し扉が設けられたそれらの壁が、上のエリアと下の階を仕切っていた、ということらしい。

コリントス遺跡

 

また、(自分なりにネットで調べたところ)リュシッポスとは、紀元前4世紀の古代ギリシャの彫刻家で、古典時代の三大彫刻家だそうだ(他2名はスコパス、プラクシテレス)。世界七不思議の1つ、ロードス島の巨像を作ったリンドスのカレスは、リュシッポスの弟子だったそうである。

そして、エポイエセン(Epoiesen)とは、ギリシャ語で「作った」という意味だそうだ。

おまけ

…と、ここまでブログを書いていて、気づいたことがあった。

え! もしかして?!

遺跡パンフレットの地図をよ~く見てみると、北西の商店群にうっすら重なるように「小さな半円形の後陣を持つ建物」(黄色く色づけした部分)があるではありませんか!

コリントス 北西の商店群

 

位置的にはピッタリ。「聖なる泉は、遺跡パンフレットの地図には出ていないが…」と先述したばかりだが、その聖なる泉と深く結びついていた可能性のある「半円形の後陣を持つ建物跡」を見つけてしまったかも…!?

なーんて、一人興奮してしまった(笑)。

つづく

 

冒頭写真:北西の商店群とアポロン神殿、コリントス遺跡より

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