女ひとり旅日記 コリントス遺跡 レカイオン通り ギリシャ旅189
レカイオン通り
ピレーネの泉を見た後は、古代の石畳の街道、レカイオン通りへ進む。
遺跡のパンフレットの地図はこちら(日本語は加筆しています)↓
コリントス レカイオン通り
下写真:レカイオン通りを歩き、階段上で振り返ったところ
コリントス遺跡
さっそく展示ボードを見てみよう。
レカイオン通りのプロピュライア(前門)
フォロ・ロマーノへの正門であるプロピュライアは、小さな3つのアーチ状の門(1つがメインで、他2つは小さい)で構成されていました。パウサニアスの時代には、この堂々たる建物の上に、ヘリオスとパエトン(※)の金メッキされた青銅製の馬車が設置されていました。プロピュライアは西暦1世紀に建立されました。レカイオン通り
ローマ都市の南北を貫く主要基幹道路(カルド・マクシムス)は、コリントスのアゴラと、北に3km離れたコリントス湾に面したレカイオン港を結んでいました。アウグストゥス帝の時代には、この道は舗装されておらず、車両のみが通行可能でした。ウェスパシアヌス帝の治世下、歩行者のみが通行可能だった時代には、石灰岩の板で舗装され、道路の両側の狭い舗装部分に、雨水の排水溝が設けられました。
街道の東側・西側の両サイドには、商店が列を作って並び、商店と歩道の間には、列柱と奉納物のための台座が設けられました。
10世紀以降になると、この街道は重要性を失い始め、1858年の地震の後、ついに廃墟となりました。
レカイオン通りの西側の建造物
今日、街道の西側には、16軒の小さな商店が並んでいるのが確認できます。西側で最も重要な建物は、裁判所として使用されていたと思われる巨大なローマ時代のバシリカ(1世紀~2世紀)です。フォロ・ロマーノの中央に面したファサードには、フリギア人の(戦争)捕虜の巨像(2世紀後半~3世紀初頭)が飾られていました。
バシリカの北側には商業市場の遺跡が残っています。後に、この市場はイオニア式の列柱を備えた半円形の新しい市場に置き換えられました。
レカイオン通りの東側の建造物
レカイオン通りの東側、ピレーネの泉の北側には、神殿A(古典期)の基礎が保存されています。この神殿は、建築の第2段階(ヘレニズム期)にヒローンへ改築されました。ヒローンの東側には、アポロンのぺリヴォロス(紀元1世紀)と呼ばれる場所があります。これは、大理石のイオニア式列柱に囲まれた中庭で、かつて商業市場として使われていました。
通りの北東端には、紀元2世紀に建てられた大規模な浴場の遺跡が保存されています。この浴場は、旅行作家パウサニアスが実際に見た、スパルタのエウリクレスの浴場と特定されています。
展示ボードより(ざっくり和訳)
※(自分なりにネットで調べたところ)ヘリオスは、4頭の馬が引く馬車で空を
駆け、太陽を運んでいた神様(太陽神)、パエトンは、その息子(父の太陽の馬車を暴走させ、天と地を焼き尽くしたため、ゼウスに殺されてしまう)だそうである。
下写真:レカイオン通りの西側の建造物(ズーム写真)
コリントス遺跡
上写真(↑) 展示ボードには、16軒の商店跡がはっきりと確認できる、と記されていたが、石のブロックが積まれている辺りに、商店が並んでいたのかな…と推測するのみ。
下写真:レカイオン通りの東側の建造物(ズーム写真)
コリントス遺跡
おびただしい廃墟跡に圧倒される!
見学者が歩けるのは、通りの中央部分のみ。その範囲で、おおよその見当をつけながらの見学となる。
遺跡見学の終了
このレカイオン通りを通り抜け、階段を上がった先が遺跡の出口である。
熱射病すれすれの陽射しの中、なんとか無事に、遺跡見学が終了できてホッとした。
つづく
冒頭写真:レカイオン通りとアクロ・コリントス山、コリントス遺跡にて
今回ブログで触れた遺跡以外にも、現在のコリントスの村の至る所に、遺跡は散在しているそうです。古代都市の郊外には、アスクレピオスの神殿もあったそうで、出土品は、コリントス考古学博物館に展示されています。